私はあなた方にこのように言った。
自分自身を愛しなさい。
自分自身を愛せない人は、
他のどんな人をも愛することができないと。
ゆえに私はあなた方に言う、利己的でありなさいと。
なぜなら唯一利己的な状態からだけ、
利他主義が生まれるからだ。
だがあなた方は、本当に価値のない
価値観を教えられてきた。
あなたには価値がないと、
そのままのあなたには何の価値もないと
聞かされてきた。
つまり、あるがままのあなたは地獄であると。
あなたは立派でなければならず、
あなたは変わらなければならない。
あなたは聖人に近くなり、
あれやこれや優れた者にならねばならない。
そこでは一つのことが確実だ。
それは、あるがままのあなたでは、
そこにはどんな価値もないということだ。
あなたはどうやって自分自身を
愛せるだろうか?
自分自身を愛せず
自分を憎み、嫌う時、
あなたは他のすべての人々を嫌い、憎んでいる。
彼は全世界を憎み、
自分自身を憎むことで
生に対して否定的になる。
そして生に否定的な人は、
生に対して破壊的だ。
いわゆる僧や尼僧たちは、
誰もが生に対して否定的だ。
彼らは生を肯定しない。
生を育まず、生を美しくしない。
彼らは世界を祝福して来なかった。
彼らは呪って来た!
いわゆる修道院は消え去るべきだ。
私たちには修道院は必要ない。
確かに私たちにはサニヤシンが必要だが、
彼らは世界の一部となり、
世界を変えることで生きるべきだ。
そして、
起こるべき基本的な変容は、
自分自身を愛する者であるべき、
ということだ。
自分自身を愛さない人はマゾヒストになる。
つまり、自分自身を苦しめるようになる。
そして、こうしたマゾヒストたちは、
古来より聖者として崇拝されて来た。
マゾヒストである人は、
一方でサディストである。
なぜなら自分を傷めつける人は、
あらゆる他人を痛めつけたがるからだ。
しかも痛めつけることは、
彼の神への捧げ物になる。
この両者がしばしば同一人物であるのは
いつものことである。
あなたは自分自身に対立して反対し、
他人に反対するというようなやり方で、
あなたの宗教によって条件付けられてきた。
つまり一方で、
あなたは素晴らしい合理的思考で
自分自身を苦しめ、また他方で、
その考え方で他人を苦しめる。
彼らにとって、
今や生というものは拷問部屋に、
強制収容所になってしまった。
もはやそれは生きるという祝祭ではない。
それは本来、祝うべきことだ。
もし自然に自分自身の進路を
取ることが許されるならば、
それは祝祭であるに違いない。
だから覚えておくべき最後のことは、
「物事を後ろ向きにしてはいけない」
自然とともに行きなさい。
上流へ行こうとしてはいけない。
生の流れとともに行き、
川とともに行きなさい。
川を押し進めたり、
自然を征服しようとしてはいけない。
どちらにしろあなたにはできないし、
あなたにできるのはそれを破壊することだけだ。
しかも頑張ってできるのは、
自分自身の破壊だけだ。
まさに、自然を征服するという考え
そのものが暴力的であり、
醜いものだ。
勝利とは自然に反することではない。
勝利はただ、
自然とともに可能なものなのだ。
あなたは、自分自身を愛しては
いけないと教えられてきた。
それが純然たる事実のように、
真実のように見えるほどに、
繰り返し教えられてきた。
しかし自分自身を愛せない人は、
他のどんな人をも愛することはできない。
自分を愛せない人は、
まったく愛することができない。
あなたは利他的であるべきで、
決して利己的であってはいけないと
教えられてきた。
それは一見、
とても美しく見える。
だがそれがまさに、
あなたの根源を破壊している。
唯一、
本当に利己的な人だけが、
真に利他的であることができる。
なぜなら本来の自己の本性に
根づいていない人、
つまり利己的でない人は、
他の誰かについて
真に心配したりなどしないからだ。
もし自分自身の世話が
できないならば、
どうやって他人の世話が
できるというのだろうか?
彼は自滅的で
当然、残酷になる。
OSHO
2017年11月19日日曜日
2017年5月28日日曜日
自分自身を、深く、受け容れることだ。OSHO
動物や、小鳥達を、見てごらん。
誰も、悩んではいない。
誰も、悲しんではいない。
誰も、不満を抱いてはいない。
混乱(フリークアウト)した水牛を、
見たことがあるかね?
水牛は、日々、同じ草を食みながら、
完全に、満足している。
彼らは、悟っているも同然だ。
そこには、緊張というものがない。
そこには、自然との、自分との、
あるがままの、全てとの、
途方もない、調和がある。
水牛は、
世の中で、革命を、起こす為に、
自分達を、スーパー水牛に、変える為に、
宗教的で、有徳になる為に、
宗派を、創ったりはしない。
いかなる動物も、
人間達が創った、様々な理想には、
見向きもしない。
動物達は、みな笑っているに、違いない。
「一体、どうしたんだい?
なぜ、自分自身で、あるがままで、いることが
出来ないんだい?
他の誰かに、なる必要が、どこにあるの?」
だから、まず、
自分自身を、深く、受け容れることだ。
OSHO:「ゴールド・ナゲッツ」(和尚エンタープライズジャパン)
誰も、悩んではいない。
誰も、悲しんではいない。
誰も、不満を抱いてはいない。
混乱(フリークアウト)した水牛を、
見たことがあるかね?
水牛は、日々、同じ草を食みながら、
完全に、満足している。
彼らは、悟っているも同然だ。
そこには、緊張というものがない。
そこには、自然との、自分との、
あるがままの、全てとの、
途方もない、調和がある。
水牛は、
世の中で、革命を、起こす為に、
自分達を、スーパー水牛に、変える為に、
宗教的で、有徳になる為に、
宗派を、創ったりはしない。
いかなる動物も、
人間達が創った、様々な理想には、
見向きもしない。
動物達は、みな笑っているに、違いない。
「一体、どうしたんだい?
なぜ、自分自身で、あるがままで、いることが
出来ないんだい?
他の誰かに、なる必要が、どこにあるの?」
だから、まず、
自分自身を、深く、受け容れることだ。
OSHO:「ゴールド・ナゲッツ」(和尚エンタープライズジャパン)
2017年5月27日土曜日
気づきとくつろぎ〜愛のアーティストになる
Osho :
ステップ 1・日常生活における気づき
日々くり返す行動に、気づきをもたらし始めなさい。そしてそれをしている間、くつろいだままでいることだ。
緊張する必要はない。あなたが床を掃除しているとき、なぜ緊張する必要がある? あるいは料理しているとき、なぜ緊張する必要がある? 生において緊張が必要とされることは、一度もない。それは単に、あなたの無意識と、忍耐のなさでしかない。
なぜ彼らは緊張しているのだろう?――私はその理由を何も見つけられなかった。私はいろいろな方法で、あらゆる種類の人びとと生きてきたが、いつも困惑させられた。緊張は、あなたの外側のことにはまったく関係がないように見える。それはあなたの内側に関する何かだ。何の理由もなしに緊張するのはとてもばかげて見えるから、あなたはいつも外側に言い訳を見つける。ただもっともらしい理屈をつけるために、あなたはなぜ緊張しているかを説明する理由を外側に見つける。
しかし、緊張はあなたの外側にあるのではない。それは、あなたの間違ったライフスタイルにある。
ステップ 2・自分自身を受け入れる
あなたは競走の中で生きている――それが緊張をつくる。あなたは常なる比較の中で生きている――それが緊張をつくる。あなたはいつも過去か未来のことを考えていて、ただひとつ実在する現在を、ミスし続けている――それが緊張をつくる。
あなた自身の才能を見つけてごらん。自然は、この世に送り出す個人すべてに、ユニークな贈りものを与えている。ただ、少し探してみなさい。どんな質を、どんな才能をあなたが持っているにせよ、最大限に使うがいい。すると、緊張に巻き込まれていたエネルギーが、あなたの優雅さと美しさになり始めるだろう。
ステップ 3 ・ 愛のアーティストになりなさい
あなたが何をしているにせよ、この世のいちばん小さなものごとでさえ一片のアートになるような、そんな愛と気配りを持ってやりなさい。それはあなたに、大いなる喜びをもたらすだろう。そしてそれは競争のない、比較のない世界をつくり、すべての人に尊厳を与える。それは宗教が破壊した彼らの誇りを、とりもどさせる。
どんな行為でも全一に行なわれたら、それはあなたの祈りになる。
Osho: The Hidden Splendor
ステップ 1・日常生活における気づき
日々くり返す行動に、気づきをもたらし始めなさい。そしてそれをしている間、くつろいだままでいることだ。
緊張する必要はない。あなたが床を掃除しているとき、なぜ緊張する必要がある? あるいは料理しているとき、なぜ緊張する必要がある? 生において緊張が必要とされることは、一度もない。それは単に、あなたの無意識と、忍耐のなさでしかない。
なぜ彼らは緊張しているのだろう?――私はその理由を何も見つけられなかった。私はいろいろな方法で、あらゆる種類の人びとと生きてきたが、いつも困惑させられた。緊張は、あなたの外側のことにはまったく関係がないように見える。それはあなたの内側に関する何かだ。何の理由もなしに緊張するのはとてもばかげて見えるから、あなたはいつも外側に言い訳を見つける。ただもっともらしい理屈をつけるために、あなたはなぜ緊張しているかを説明する理由を外側に見つける。
しかし、緊張はあなたの外側にあるのではない。それは、あなたの間違ったライフスタイルにある。
ステップ 2・自分自身を受け入れる
あなたは競走の中で生きている――それが緊張をつくる。あなたは常なる比較の中で生きている――それが緊張をつくる。あなたはいつも過去か未来のことを考えていて、ただひとつ実在する現在を、ミスし続けている――それが緊張をつくる。
あなた自身の才能を見つけてごらん。自然は、この世に送り出す個人すべてに、ユニークな贈りものを与えている。ただ、少し探してみなさい。どんな質を、どんな才能をあなたが持っているにせよ、最大限に使うがいい。すると、緊張に巻き込まれていたエネルギーが、あなたの優雅さと美しさになり始めるだろう。
ステップ 3 ・ 愛のアーティストになりなさい
あなたが何をしているにせよ、この世のいちばん小さなものごとでさえ一片のアートになるような、そんな愛と気配りを持ってやりなさい。それはあなたに、大いなる喜びをもたらすだろう。そしてそれは競争のない、比較のない世界をつくり、すべての人に尊厳を与える。それは宗教が破壊した彼らの誇りを、とりもどさせる。
どんな行為でも全一に行なわれたら、それはあなたの祈りになる。
Osho: The Hidden Splendor
2017年5月25日木曜日
存在は、私を、守ってくれるでしょうか?
質問「私が、手放しになった時、
存在は、私を、守ってくれるでしょうか?」
存在は、いつでも、
保護の手を、差し伸べて来たし、
私は、それが、
あなただけには、違う顔を見せるとは、
考えられない。
あなただけは別だ、ということは、
あり得ない。
それは、いつでも、そうだった。
存在は、常に、
自らを、ゆだねた者、
自らを、抛(なげう)った者、
自らを、明け渡した者を、
守って来た。
自然に、従いなさい。
自らの、内なる自然に、従うがいい。
OSHO
存在は、私を、守ってくれるでしょうか?」
存在は、いつでも、
保護の手を、差し伸べて来たし、
私は、それが、
あなただけには、違う顔を見せるとは、
考えられない。
あなただけは別だ、ということは、
あり得ない。
それは、いつでも、そうだった。
存在は、常に、
自らを、ゆだねた者、
自らを、抛(なげう)った者、
自らを、明け渡した者を、
守って来た。
自然に、従いなさい。
自らの、内なる自然に、従うがいい。
OSHO
2017年5月21日日曜日
恐怖を抱かずに、生きなさい。
全てを、賭けなさい。
ギャンブラーに、なるがいい。
全てを、冒険に、委ねなさい。
なぜなら、次の瞬間に、
確実なものは、何もないからだ。
だとしたら、なぜ、思い煩う?
なぜ、心配する?
危険をもって、生きなさい。
喜びをもって、生きなさい。
恐怖を抱かずに、生きなさい。
罪悪感を持たずに、生きなさい。
地獄に対する、恐怖も、
天国を求める、貪欲さも、
持たずに、生きなさい。
ただ「生きる」がいい。
OSHO:「ゴールド・ナゲッツ」(和尚エンタープライズジャパ
ギャンブラーに、なるがいい。
全てを、冒険に、委ねなさい。
なぜなら、次の瞬間に、
確実なものは、何もないからだ。
だとしたら、なぜ、思い煩う?
なぜ、心配する?
危険をもって、生きなさい。
喜びをもって、生きなさい。
恐怖を抱かずに、生きなさい。
罪悪感を持たずに、生きなさい。
地獄に対する、恐怖も、
天国を求める、貪欲さも、
持たずに、生きなさい。
ただ「生きる」がいい。
OSHO:「ゴールド・ナゲッツ」(和尚エンタープライズジャパ
2017年3月11日土曜日
真理とは いまこの瞬間 OSHO
私は、
あなたに
改善しなさいと
言っていない。
釈迦から
白隠に至るまで、
偉大な導師はみな
改善しなさいとは
言わなかった。
いわゆる
「改善の書物」に
用心しなさい。
アメリカの市場には
この手の書物が
あふれている。
だから、
気をつけなさい。
なぜなら、
改善は
あなたをどこにも
導きはしないからだ。
問題は
改善などではない。
なぜなら、
改善によって
改善されるものは
偽りに
ほかならないからだ。
人格は
改善される。
より磨きをかけられ
巧妙になり、
貴重でまれなものになる。
だが、
それは変容ではない。
変容は
改善によって
もたらされない。
そうではなく、
完全に人格という
仮面を落とすことによって
もたらされる。
偽りが
真理となることは
できない。
真理となるように
偽りを
改善するすべはない。
偽りは偽りのままだ。
それは
次第に真理に
みえてくるだろうが、
偽りであることには
違いない。
それが真理に
みえればみえるほど、
あなたはますます
それに没入し、
それにのめりこんでゆく。
その偽りが
あまりにも
真理のように
みえるので、
あなたはそれが
偽りであるという、
事実さえ
忘れてしまう。
偽りは
あなたに告げる。
「真理を探究しなさい。
あなたの性格、人格を
改善しなさい。
真理を探究しなさい。
これになりなさい。
あれになりなさい。」
偽りはあなたに
予定を与えつづける。
「これをしなさい。
そうすれば
すべてがよくなり、
永遠に幸せになるだろう。
これをしなさい。
あれをしなさい。
失敗した?
心配はいらない。
私はあなたのために
別の計画を用意している。」
偽りはあなたに
計画を与えつづける。
あなたは
それらの計画に従って
動きつづけ、
人生を
無駄にしつづけるのだ。
それどころか
真理の追究もまた
偽りから生じる。
このことを
理解するのは
難しいだろうが、
理解されなければならない。
真理の探究は
ほかならぬ
偽りから生じる。
・・・
それは
あなたを駆り立て、
あなたに強いる。
それは、
あなたを真理の探究に
せきたてる。
探求とは、
遠ざかることを
意味する。
真理はここにある
というのに、
偽りは
そこに行くように、
あなたをせきたてる。
真理とは
いまなのに、
偽りは
「そのとき」とか、
「そこ」とか言う。
偽りはつねに
過去について、
また
未来について話すのだが、
現在については
けっして話さない。
そして真理とは現在、
まさにこの瞬間だ。
Osho - This Very Body The Buddha
あなたに
改善しなさいと
言っていない。
釈迦から
白隠に至るまで、
偉大な導師はみな
改善しなさいとは
言わなかった。
いわゆる
「改善の書物」に
用心しなさい。
アメリカの市場には
この手の書物が
あふれている。
だから、
気をつけなさい。
なぜなら、
改善は
あなたをどこにも
導きはしないからだ。
問題は
改善などではない。
なぜなら、
改善によって
改善されるものは
偽りに
ほかならないからだ。
人格は
改善される。
より磨きをかけられ
巧妙になり、
貴重でまれなものになる。
だが、
それは変容ではない。
変容は
改善によって
もたらされない。
そうではなく、
完全に人格という
仮面を落とすことによって
もたらされる。
偽りが
真理となることは
できない。
真理となるように
偽りを
改善するすべはない。
偽りは偽りのままだ。
それは
次第に真理に
みえてくるだろうが、
偽りであることには
違いない。
それが真理に
みえればみえるほど、
あなたはますます
それに没入し、
それにのめりこんでゆく。
その偽りが
あまりにも
真理のように
みえるので、
あなたはそれが
偽りであるという、
事実さえ
忘れてしまう。
偽りは
あなたに告げる。
「真理を探究しなさい。
あなたの性格、人格を
改善しなさい。
真理を探究しなさい。
これになりなさい。
あれになりなさい。」
偽りはあなたに
予定を与えつづける。
「これをしなさい。
そうすれば
すべてがよくなり、
永遠に幸せになるだろう。
これをしなさい。
あれをしなさい。
失敗した?
心配はいらない。
私はあなたのために
別の計画を用意している。」
偽りはあなたに
計画を与えつづける。
あなたは
それらの計画に従って
動きつづけ、
人生を
無駄にしつづけるのだ。
それどころか
真理の追究もまた
偽りから生じる。
このことを
理解するのは
難しいだろうが、
理解されなければならない。
真理の探究は
ほかならぬ
偽りから生じる。
・・・
それは
あなたを駆り立て、
あなたに強いる。
それは、
あなたを真理の探究に
せきたてる。
探求とは、
遠ざかることを
意味する。
真理はここにある
というのに、
偽りは
そこに行くように、
あなたをせきたてる。
真理とは
いまなのに、
偽りは
「そのとき」とか、
「そこ」とか言う。
偽りはつねに
過去について、
また
未来について話すのだが、
現在については
けっして話さない。
そして真理とは現在、
まさにこの瞬間だ。
Osho - This Very Body The Buddha
OSHO : それは本当に自分の答えなのか?
私の友人のひとりが
ソビエト・ロシアに行った。
彼は仏教徒の僧侶だが、
とても知性的で、
世界的に有名な
作家だった。
彼は小学校で、
ひとりの幼い子どもに尋ねた。
「君は神を信じているかい?」
子どもは笑いながら言った。
「神だって?
昔はみんな信じてたよ。
神は神話だよ。」
小さな子どもが言っている。
「神は神話だよ。
みんな神を信じていたんだ。
神を信じるほど馬鹿な人は
もういないよ。」
そして、少年は尋ねた。
「おじさんは
まだ神を信じているの?」
もしあなたが
共産主義の国で
育てられたら、
あなたは神を信じない。
あなたは
カール・マルクスを信じる。
だが、
それは同じだ。
あなたは「聖書」を信じない。
あなたは「資本論」を信じる。
だが、
それは同じだ。
信念は他者から来る。
本来の人間は
信念を持たない。
信念体系を落としなさい。
そうすれば、
あなたは独創的になる。
答えるときは、
憶えておきなさい。
それは自分の答えなのか、
本当に自分のものなのか?
それは自分の応答なのか?
それとも母親、
あなたの父親、
あなたの聖職者、
あなたの教師が、
あなたを通して
話しているのだろうか?
少し注意して聴いてごらん、
するとあなたは驚くだろう。
あなたは、
誰が話しているのか、
正確にその声を
聞くことができる。
あなたの母親、
あなたの父親、
あなたの教師。
だが、
そうなったら
これは機械的だ。
それを落としなさい。
「私は知らない。」
と言う方がいい。
少なくとも、
それは”あなたの”答えだ。
真理により近い、
神により近い。
なぜなら、
真理は神であり、
それ以外に
神はないからだ。
小さなものごとのなかで、
自分がどう振舞うかを
見守りつづけなさい。
あなたは
反応するだろうか?
それとも
応答するだろうか?
反応から、
意識を
もっともっと
応答のほうに
振り向けなさい。
反応は
条件づけられている。
応答は
醒めている。
これが、
あなたを変容させる
仏陀の技法だ。
ゆっくりゆっくり、
本来の自分が現れる。
ゆっくりゆっくり、
条件づけられた人間は
消える。
あなたが
条件づけられた人間に
手を貸さなければ、
それは去らざるをえない。
それは
あなたの助けを通して
生きる。
それは
あなたの協力なしでは
生きられない。
あなたが
それを育む、
あなたが
それに餌を与える。
それを
育むのをやめなさい。
それを
飢え死にされるのだ!
Osho - Take It Easy
2017年3月10日金曜日
欲と感謝
今いろいろ検索していたら
ヒットしたのが 自分の記事でした 笑
1月1日に書いていました
全然おぼえてない・・・
トランスフォーメーションタロット 強欲を超える
欲
今 自分にあたえられているものが
どんなものであろうと
それが
どんなに のぞまないものであろうと
それを 絶対的に信頼する
今日の心屋さんのブログとも リンクしていました 💚
ほしいものが与えられない理由
欲の根底をさぐると また別なものがでてきそうですが
今は純粋に 欲ということで・・・
* * * * * * * *
― 欲 強欲 ―
ホリー (バッチフラワーレメディ)
時に、嫉妬や妬み、復讐心、疑いといった気持ちに苛まれてしまう人に。さまざまな苛立ちに。大抵の場合、実際に暗い気持ちになる理由は何もないのに、心の内で非常に苦しんでいることがあります。(バッチ博士の言葉)
強い いやな感情が自分の内側に生まれることがある場合にも使えます。
よく 使ってます 笑
牡牛座(Taurus) (ヒマラヤンフラワーエンハンサー)
キーワード
太陽:安定、忍耐、実用性、所有、五感、ゆっくり
月 :安心、物欲、所有欲、五感の充実、こだわり、グラウンディング
太陽星座の特徴:
優雅で独自の美的センスを持つあなた。じっくりと物事を吟味し、心地良いものだけを周囲に集め大切にします。住居や食事にこだわり、五感を通して地上の喜びを味わうことが得意です。価値あるものを手に入れたら、しっかりと所有し、ためこんでいきます。その為手放すことが苦手なところがあり、時に物欲が強くなってしまうことも。
エッセンスの効能:
優雅さや幸せ感をもっと感じたい時、必要なものが満たされないと感じている時や、何かをやり遂げる為にもう一押しが必要な時にこのエッセンスを摂るとお手伝いがすぐに来るでしょう。
月星座の特徴:
安心感を強く求めるあなた。身体を心地良くさせておくことや、経済や物質的な保障がしっかりしている環境を必要と感じています。生命や自然に対して愛着を持ち、受け入れる能力があります。感情的には常に安定しているでしょう。変化を好まない為、古い人間関係にしがみつくことも。
エッセンスの効能:
過度な所有欲や頑固さをやわらげたい時、不安定な状態でしっかりグラウンディングが必要な時に有効です。
グラウンディングが本当にちゃんとできてないと いろんな欲に支配されるみたいです
― 感謝 ―
ウィロー (バッチフラワーレメディ)
苦労や逆境に苦しんできた人に。人生がもたらす成功によって多くを判断するため、困難な経験を不満や憤りなくして受け入れるのが難しい人に。こんなにひどい試練を受けるいわれはないのに、不公平だと苦々しく思っている人です。多くの場合、以前は楽しんでいた人生の物事にさえ関心が薄くなり、活発に行動することが少なくなっています。(バッチ博士の言葉)
ウーム ウィズ ア ビュー (ヒマラヤンフラワーエンハンサー)
感謝をもたらし、その人が子宮にいる時に授かった、崇高な目的の達成を阻害するエネルギーから解放します。
ホワイトスノードロップス (パワーオブヒーリングエッセンス)
スノードロップは繊細な花で、溶け始めた雪の中から茎を覗かせ、春の訪れを知らせてくれます。その慎ましやかな花々は、大地にお辞儀し、感謝、謙虚さ、優雅さを教えてくれます。これは、再生、穏やかな希望、そしてつらい過去からの解放が必要なときためのエッセンスです。このエッセンスは、自然や花々に心を開かせてくれます。危機的な状況下にあっても、難なく障害を乗り越えていくための素晴らしいエッセンスとなるでしょう。
ヒットしたのが 自分の記事でした 笑
1月1日に書いていました
全然おぼえてない・・・
トランスフォーメーションタロット 強欲を超える
欲
今 自分にあたえられているものが
どんなものであろうと
それが
どんなに のぞまないものであろうと
それを 絶対的に信頼する
今日の心屋さんのブログとも リンクしていました 💚
ほしいものが与えられない理由
欲の根底をさぐると また別なものがでてきそうですが
今は純粋に 欲ということで・・・
* * * * * * * *
― 欲 強欲 ―
ホリー (バッチフラワーレメディ)
時に、嫉妬や妬み、復讐心、疑いといった気持ちに苛まれてしまう人に。さまざまな苛立ちに。大抵の場合、実際に暗い気持ちになる理由は何もないのに、心の内で非常に苦しんでいることがあります。(バッチ博士の言葉)
強い いやな感情が自分の内側に生まれることがある場合にも使えます。
よく 使ってます 笑
牡牛座(Taurus) (ヒマラヤンフラワーエンハンサー)
キーワード
太陽:安定、忍耐、実用性、所有、五感、ゆっくり
月 :安心、物欲、所有欲、五感の充実、こだわり、グラウンディング
太陽星座の特徴:
優雅で独自の美的センスを持つあなた。じっくりと物事を吟味し、心地良いものだけを周囲に集め大切にします。住居や食事にこだわり、五感を通して地上の喜びを味わうことが得意です。価値あるものを手に入れたら、しっかりと所有し、ためこんでいきます。その為手放すことが苦手なところがあり、時に物欲が強くなってしまうことも。
エッセンスの効能:
優雅さや幸せ感をもっと感じたい時、必要なものが満たされないと感じている時や、何かをやり遂げる為にもう一押しが必要な時にこのエッセンスを摂るとお手伝いがすぐに来るでしょう。
月星座の特徴:
安心感を強く求めるあなた。身体を心地良くさせておくことや、経済や物質的な保障がしっかりしている環境を必要と感じています。生命や自然に対して愛着を持ち、受け入れる能力があります。感情的には常に安定しているでしょう。変化を好まない為、古い人間関係にしがみつくことも。
エッセンスの効能:
過度な所有欲や頑固さをやわらげたい時、不安定な状態でしっかりグラウンディングが必要な時に有効です。
グラウンディングが本当にちゃんとできてないと いろんな欲に支配されるみたいです
― 感謝 ―
ウィロー (バッチフラワーレメディ)
苦労や逆境に苦しんできた人に。人生がもたらす成功によって多くを判断するため、困難な経験を不満や憤りなくして受け入れるのが難しい人に。こんなにひどい試練を受けるいわれはないのに、不公平だと苦々しく思っている人です。多くの場合、以前は楽しんでいた人生の物事にさえ関心が薄くなり、活発に行動することが少なくなっています。(バッチ博士の言葉)
ウーム ウィズ ア ビュー (ヒマラヤンフラワーエンハンサー)
感謝をもたらし、その人が子宮にいる時に授かった、崇高な目的の達成を阻害するエネルギーから解放します。
ホワイトスノードロップス (パワーオブヒーリングエッセンス)
スノードロップは繊細な花で、溶け始めた雪の中から茎を覗かせ、春の訪れを知らせてくれます。その慎ましやかな花々は、大地にお辞儀し、感謝、謙虚さ、優雅さを教えてくれます。これは、再生、穏やかな希望、そしてつらい過去からの解放が必要なときためのエッセンスです。このエッセンスは、自然や花々に心を開かせてくれます。危機的な状況下にあっても、難なく障害を乗り越えていくための素晴らしいエッセンスとなるでしょう。
2017年3月6日月曜日
OSHO 人は必要とされることが必要なのだ。
人は必要とされることが必要なのだ。
それは人間のもっとも根本的な必要のひとつだ。
他人に関心を持たれなければ、
人は死に始める。
自分が誰かに、
少なくとも誰かにとっては
大切なのだと感じるのでなければ、
全生命は無意味なものになる。
だからこそ、
愛は
存在する最大のセラピー(治療)なのだ。
世界がセラピーを必要としているのは、
世界が愛を見失っているからだ。
本当に愛に満ちている世界には、
どんなセラピーも必要ないだろう。
愛で充分だ、
充分以上だ。
抱き締めるということは
愛の、
温かさの、
心遣いの
身振りに過ぎない。
他人から流れて来る温かさの感じだけで、
あなたの中にある
たくさんの病を溶かす。
氷のような冷たいエゴを溶かす。
あなたを再び子供にする。
the wild gees and the water
osho
それは人間のもっとも根本的な必要のひとつだ。
他人に関心を持たれなければ、
人は死に始める。
自分が誰かに、
少なくとも誰かにとっては
大切なのだと感じるのでなければ、
全生命は無意味なものになる。
だからこそ、
愛は
存在する最大のセラピー(治療)なのだ。
世界がセラピーを必要としているのは、
世界が愛を見失っているからだ。
本当に愛に満ちている世界には、
どんなセラピーも必要ないだろう。
愛で充分だ、
充分以上だ。
抱き締めるということは
愛の、
温かさの、
心遣いの
身振りに過ぎない。
他人から流れて来る温かさの感じだけで、
あなたの中にある
たくさんの病を溶かす。
氷のような冷たいエゴを溶かす。
あなたを再び子供にする。
the wild gees and the water
osho
2017年2月27日月曜日
OSHO 忙しい人の為の瞑想:手足を緩める
できる範囲でどうぞ
ちょっと面白い瞑想です。
いつ?:毎晩、就寝前
瞑想の長さ:少なくとも20分間
ステップ 1:口での呼吸
椅子に座り、頭をもたれかけなさい。(Oshoは実際に、歯医者でやるように椅子の背に頭をもたれかけてみせる。)枕をあててもよい。休息している姿勢をとるように。それから、下顎の力をぬきなさい。ただ、そこをリラックスさせてごらん、口がわずかに開くだろう。そして、鼻からではなく、口からの呼吸をはじめなさい。ただし呼吸は変えられるべきではない。そのままで……自然であるべきだ。
最初の何回かの呼吸は、少し興奮しているだろう。やがてそれは落ち着き、呼吸はとても浅くなるだろう。とてもかすかに入っては、出ていく――そうだ、それでいい。口を開けたまま、目を閉じて、休んでいなさい。
ステップ 2:足を緩める
それから、足が緩んでいくと感じはじめてごらん。まるで関節のところではずされ、取り去られていくかのように。まるでそれが取り去られ、切り離され、分解されていくかのように感じなさい。そして、自分はただ上半身だけだと思いはじめなさい――足はなくなってしまった。
ステップ 3:手……
次は手だ。両手が緩んで、自分から取り去られていくと思いなさい。それが折られる時、内側でまさにカチャッ、という音を聞くことさえできるかもしれない! もはや、あなたは その手ではない――それらは死んで、取り去られた。そして、ただ胴体が残っている。
ステップ 4:頭……
それから頭のことを考えはじめなさい……それが取り去られていく、自分は首切りされている、頭は壊れている。そして、頭を緩んだままにしておきなさい――右に向いていようと、左に向いていようと、あなたにはどうすることもできない。ただ緩んだままにしておきなさい。それは取り去られてしまった。
ステップ 5:完全に胴体だけになる
今ではあなたはただ胴体だけだ、そうだね?
自分がそれだけになったと感じるがいい――この胸、お腹、それですべてだと。
その落ち着きのなさはなくなるだろう。それはただ、あなたの身体が調整されていないということだ――エネルギーがバランスよく分配されていない。これらの部分を切り離されたものとしてとらえることで、本質的な部分だけが残る。そして、あなたのエネルギーのすべてが、本質的な部分に入ってくる。その本質的な部分はくつろぐだろう。そしてエネルギーは、足に、手に、頭に、よりバランスのとれたやり方で、再び流れ込み始めるだろう。
エネルギーの新たな分配が必要だ。あなたをアンバランスに感じさせるのは常に、ある部分には多くてほかの部分には少ないエネルギーのせいだ。あなたの手は、ほかの部分よりも多くのエネルギーを得ているにちがいない。そのとき、あなたは手で何かをしたい。そして何もすることが見つけられないと、あなたは怒りださないとも限らない。あまりにも多くのエネルギーがありすぎると、手は怒りだす――何もすることができないと、それらは破壊したくなる。創造するか、破壊するかのどちらかだ。もしあなたが創造できれば、それはよい――もし創造できなければ、その時には、破壊がある。
Osho, This Is It!
Copyright © 2012 Osho International Foundation
ちょっと面白い瞑想です。
いつ?:毎晩、就寝前
瞑想の長さ:少なくとも20分間
ステップ 1:口での呼吸
椅子に座り、頭をもたれかけなさい。(Oshoは実際に、歯医者でやるように椅子の背に頭をもたれかけてみせる。)枕をあててもよい。休息している姿勢をとるように。それから、下顎の力をぬきなさい。ただ、そこをリラックスさせてごらん、口がわずかに開くだろう。そして、鼻からではなく、口からの呼吸をはじめなさい。ただし呼吸は変えられるべきではない。そのままで……自然であるべきだ。
最初の何回かの呼吸は、少し興奮しているだろう。やがてそれは落ち着き、呼吸はとても浅くなるだろう。とてもかすかに入っては、出ていく――そうだ、それでいい。口を開けたまま、目を閉じて、休んでいなさい。
ステップ 2:足を緩める
それから、足が緩んでいくと感じはじめてごらん。まるで関節のところではずされ、取り去られていくかのように。まるでそれが取り去られ、切り離され、分解されていくかのように感じなさい。そして、自分はただ上半身だけだと思いはじめなさい――足はなくなってしまった。
ステップ 3:手……
次は手だ。両手が緩んで、自分から取り去られていくと思いなさい。それが折られる時、内側でまさにカチャッ、という音を聞くことさえできるかもしれない! もはや、あなたは その手ではない――それらは死んで、取り去られた。そして、ただ胴体が残っている。
ステップ 4:頭……
それから頭のことを考えはじめなさい……それが取り去られていく、自分は首切りされている、頭は壊れている。そして、頭を緩んだままにしておきなさい――右に向いていようと、左に向いていようと、あなたにはどうすることもできない。ただ緩んだままにしておきなさい。それは取り去られてしまった。
ステップ 5:完全に胴体だけになる
今ではあなたはただ胴体だけだ、そうだね?
自分がそれだけになったと感じるがいい――この胸、お腹、それですべてだと。
その落ち着きのなさはなくなるだろう。それはただ、あなたの身体が調整されていないということだ――エネルギーがバランスよく分配されていない。これらの部分を切り離されたものとしてとらえることで、本質的な部分だけが残る。そして、あなたのエネルギーのすべてが、本質的な部分に入ってくる。その本質的な部分はくつろぐだろう。そしてエネルギーは、足に、手に、頭に、よりバランスのとれたやり方で、再び流れ込み始めるだろう。
エネルギーの新たな分配が必要だ。あなたをアンバランスに感じさせるのは常に、ある部分には多くてほかの部分には少ないエネルギーのせいだ。あなたの手は、ほかの部分よりも多くのエネルギーを得ているにちがいない。そのとき、あなたは手で何かをしたい。そして何もすることが見つけられないと、あなたは怒りださないとも限らない。あまりにも多くのエネルギーがありすぎると、手は怒りだす――何もすることができないと、それらは破壊したくなる。創造するか、破壊するかのどちらかだ。もしあなたが創造できれば、それはよい――もし創造できなければ、その時には、破壊がある。
Osho, This Is It!
Copyright © 2012 Osho International Foundation
バッチフラワーレメディ あるがままの自分へ ロックウォター他
ロックウォーター
自分を 何かでぐるぐるまきにして
ぎゅーっ っ としめつけている
それが 私が持つロックウォーターのイメージです
さらに
ドMといったように
修行僧みたいなイメージでもあります
そんなとき 今日の心屋さんのブログ
どんなささいなことでも
本当に
どんなちいさなことでも
自分が受け入れ始めると
自分にOKをだしはじめると
そこから いろんなことが 入ってきて
何かがかわっていきます
このブログでも書かれていますが
あなたが 抵抗を感じるところが
まさに キーとなるところかもしれません
ときに自分に届く
厳しい声は
まじめな声は
誰の声なんでしょう?
本当にあなたの 魂からの声でしょうか?
チャンスがあったら ぜひ
え?
それって 誰の声?
って
疑問をもってみてください
道徳観 罪悪感に対するレメディ
パイン
それを手放してくれるレメディ
ウォルナット
ハニーサックル
など
最後にOSHOの素敵な言葉も載せておきますね
短いですが 心に届くと思います。
--------------------------
★ぐるぐるから抜け出すには
自分の人生において、
問題を解決したい
認められたい
成長したい
変わりたい
いまよりもっとよくなりたい
もっと良い結果を手に入れたい
と願うのは
当たり前のことだと思います。
僕もそう思ってきたし
多分これからもその思いが消えることはないでしょう。
そして、そのために
努力し
頑張り
学び
考えて
生きてきました。
でも
ずっと抜け出せなかった。
ずっと
同じ輪の中で
ぐるぐる回っていた。
で、あるときから
その輪を抜け出した。
そしたら
抜け出すコツがわかったので、
そのコツを
毎日コツコツとここに書いているわけですが(うまいっ
そのコツを、
一言でいうと
これもいつも言ってることですが
「タブーに挑戦する」
ということです。
もうね
それ以外にないですわ。
自分が
「タブー視」
している言動をする。
「してはいけない」と
思っていることに挑戦するわけです。
「マイルール」を
破る。
汚い言葉を使う
わがままを言う
自己中に
神社にお金を放り込む
なまける
頑張らない
人に冷たくする
遅刻する
そのときに初めて
「いいんだ」と
目からうろこが落ちる。
していいんだ
やめていいんだ
やらなくていいんだ
やっていいんだ
悩む人は
真面目な人です。
成長したいと思うひとも
真面目な人です。
「与えられた」ルールを守り
「与えられたルール」の中で解決しようとします。
もちろん、大切なことですが、
ずっとそこを抜けられない。
がんばって
「枠の中で優秀」になろうとする。
だから「競争」になる。
「ナンバーワン」にならないとしかたない。
認められない、と思う。
そこには
限界があって
そこにたどり着いたら
今度はキープしないといけなくて。
「手でボールを触ってはいけない」
とされるサッカーの途中に、
思わずボールを抱えて
走り出したところから
あたらしいスポーツが生まれたように。
---
答えは
常識の外にある
その答えを
見つけた時が、
次のステージへの
入り口です。
次のステージは、
いまの世界とルールが違うのです。
もっと
ゆるゆるで
もっと
自由な世界
なんでもありで、
ルールの中で生きている人にとっては
「非常識」な世界。
「ありえない」
ありえなさすぎて
腹が立ってくる(笑)
だから、
僕の本やブログを見ても
全く理解できなかったり
怒りが湧いたりするわけです。
胡散臭いわけです。
だって
常識の外だから
胡散臭いのは当然です。
「今まで信じて来たものと違う」から
危険に感じるのは当然ですよね。
で、
そのままでいるのか
心屋の言ってることを
「信じてみる」のか、で
次のステージに行くのか、
今のままにとどまるのか、が
変わるわけです。
で、今のままでも、いいんですよ。
シアワセなら。
でも、いまもしそうでないとしたら
(そうでないからこそ成長したいと願うのでしょうし)
「信じてみる」と面白い。
次の扉を開くカギを
ここにちりばめています。
そして、
「成長」とは
何かができるようになることでもなく
欠点を克服することでもなく
それ(あたらしい常識)を
知っていくことが成長なのです。
新しい知識を知っていくとは
他の価値観を「許し」ていくこと。
だから
何かができるように
努力していく過程で、
「新しい常識」を
発見することも多いので
大いに努力することも
大切だと思います。
ありえないぐらい練習する、とか
死ぬほど頑張る、とかもね。
そうしながら、
ひとつひとつ
「許し」ていく。
やっていいんだ
やめていいんだ
こんな方法があったんだ
自分で
縛りに縛って
ハムみたいになった心と体を
ほどいて緩めて許していくのです。
それが
成長。
「許す」ことで
世界が、変わるわけです。
で、
「許す」、とは、
いわゆる
怒り、憎しみを許す、
ということだけではなく
いままで
マイルールに従って
否定
禁止
抑圧
してきたもの、
罪悪感や、
いまの常識の
ルールを
許していく。
壊していく。
破っていく。
捨てていく。
そう
それも、いい
あれも、いい
ダメも、いい
そして、
素晴らしい、
も、いい。
そう、「許す」は、
ダメを許すだけでなく
自分の素晴らしさも
許していくことなのです。
だから、
色んな今までの自分の
「ありえない」に飛び込む
「非常識」に飛び込む
「キャラじゃないこと」に挑戦する
「怒られそう、嫌われそうなこと」に挑戦する
「恥ずかしいこと、笑われそうなこと」を
やってみる。
「損しそうな方を選んでみる」」
「こだわりをやめてみる」
「与えるのをやめてみる」
そんな
「恐ろしいところ」
「知らない世界」に
答えはあるから。
あなたの直観が
教えてくれる声を
損得や
恐怖や
恥ずかしさで
止めないで。
そして、
その「タブー」は
あなたの苦手な人や
パートナーが持っているのです。
そんなオチですわ。
ゲスく
生きよう。
------------------------------
いちばん大切なのは
自分自身に愛情深くなることだと私は言いたい。
厳しく当たらず、
優しくしなさい。
自分自身を気づかいなさい。
自分自身を許せるようになりなさい。
何度でも何度でも、
7回、77回、777回。
自分自身を許すことを学びなさい。
厳しくせずに、
自分自身に敵対しないことだ。
そうしたらあなたは花開く
画像は禅タロット 無垢
自分を 何かでぐるぐるまきにして
ぎゅーっ っ としめつけている
それが 私が持つロックウォーターのイメージです
さらに
ドMといったように
修行僧みたいなイメージでもあります
そんなとき 今日の心屋さんのブログ
どんなささいなことでも
本当に
どんなちいさなことでも
自分が受け入れ始めると
自分にOKをだしはじめると
そこから いろんなことが 入ってきて
何かがかわっていきます
このブログでも書かれていますが
あなたが 抵抗を感じるところが
まさに キーとなるところかもしれません
ときに自分に届く
厳しい声は
まじめな声は
誰の声なんでしょう?
本当にあなたの 魂からの声でしょうか?
チャンスがあったら ぜひ
え?
それって 誰の声?
って
疑問をもってみてください
道徳観 罪悪感に対するレメディ
パイン
それを手放してくれるレメディ
ウォルナット
ハニーサックル
など
最後にOSHOの素敵な言葉も載せておきますね
短いですが 心に届くと思います。
--------------------------
★ぐるぐるから抜け出すには
自分の人生において、
問題を解決したい
認められたい
成長したい
変わりたい
いまよりもっとよくなりたい
もっと良い結果を手に入れたい
と願うのは
当たり前のことだと思います。
僕もそう思ってきたし
多分これからもその思いが消えることはないでしょう。
そして、そのために
努力し
頑張り
学び
考えて
生きてきました。
でも
ずっと抜け出せなかった。
ずっと
同じ輪の中で
ぐるぐる回っていた。
で、あるときから
その輪を抜け出した。
そしたら
抜け出すコツがわかったので、
そのコツを
毎日コツコツとここに書いているわけですが(うまいっ
そのコツを、
一言でいうと
これもいつも言ってることですが
「タブーに挑戦する」
ということです。
もうね
それ以外にないですわ。
自分が
「タブー視」
している言動をする。
「してはいけない」と
思っていることに挑戦するわけです。
「マイルール」を
破る。
汚い言葉を使う
わがままを言う
自己中に
神社にお金を放り込む
なまける
頑張らない
人に冷たくする
遅刻する
そのときに初めて
「いいんだ」と
目からうろこが落ちる。
していいんだ
やめていいんだ
やらなくていいんだ
やっていいんだ
悩む人は
真面目な人です。
成長したいと思うひとも
真面目な人です。
「与えられた」ルールを守り
「与えられたルール」の中で解決しようとします。
もちろん、大切なことですが、
ずっとそこを抜けられない。
がんばって
「枠の中で優秀」になろうとする。
だから「競争」になる。
「ナンバーワン」にならないとしかたない。
認められない、と思う。
そこには
限界があって
そこにたどり着いたら
今度はキープしないといけなくて。
「手でボールを触ってはいけない」
とされるサッカーの途中に、
思わずボールを抱えて
走り出したところから
あたらしいスポーツが生まれたように。
---
答えは
常識の外にある
その答えを
見つけた時が、
次のステージへの
入り口です。
次のステージは、
いまの世界とルールが違うのです。
もっと
ゆるゆるで
もっと
自由な世界
なんでもありで、
ルールの中で生きている人にとっては
「非常識」な世界。
「ありえない」
ありえなさすぎて
腹が立ってくる(笑)
だから、
僕の本やブログを見ても
全く理解できなかったり
怒りが湧いたりするわけです。
胡散臭いわけです。
だって
常識の外だから
胡散臭いのは当然です。
「今まで信じて来たものと違う」から
危険に感じるのは当然ですよね。
で、
そのままでいるのか
心屋の言ってることを
「信じてみる」のか、で
次のステージに行くのか、
今のままにとどまるのか、が
変わるわけです。
で、今のままでも、いいんですよ。
シアワセなら。
でも、いまもしそうでないとしたら
(そうでないからこそ成長したいと願うのでしょうし)
「信じてみる」と面白い。
次の扉を開くカギを
ここにちりばめています。
そして、
「成長」とは
何かができるようになることでもなく
欠点を克服することでもなく
それ(あたらしい常識)を
知っていくことが成長なのです。
新しい知識を知っていくとは
他の価値観を「許し」ていくこと。
だから
何かができるように
努力していく過程で、
「新しい常識」を
発見することも多いので
大いに努力することも
大切だと思います。
ありえないぐらい練習する、とか
死ぬほど頑張る、とかもね。
そうしながら、
ひとつひとつ
「許し」ていく。
やっていいんだ
やめていいんだ
こんな方法があったんだ
自分で
縛りに縛って
ハムみたいになった心と体を
ほどいて緩めて許していくのです。
それが
成長。
「許す」ことで
世界が、変わるわけです。
で、
「許す」、とは、
いわゆる
怒り、憎しみを許す、
ということだけではなく
いままで
マイルールに従って
否定
禁止
抑圧
してきたもの、
罪悪感や、
いまの常識の
ルールを
許していく。
壊していく。
破っていく。
捨てていく。
そう
それも、いい
あれも、いい
ダメも、いい
そして、
素晴らしい、
も、いい。
そう、「許す」は、
ダメを許すだけでなく
自分の素晴らしさも
許していくことなのです。
だから、
色んな今までの自分の
「ありえない」に飛び込む
「非常識」に飛び込む
「キャラじゃないこと」に挑戦する
「怒られそう、嫌われそうなこと」に挑戦する
「恥ずかしいこと、笑われそうなこと」を
やってみる。
「損しそうな方を選んでみる」」
「こだわりをやめてみる」
「与えるのをやめてみる」
そんな
「恐ろしいところ」
「知らない世界」に
答えはあるから。
あなたの直観が
教えてくれる声を
損得や
恐怖や
恥ずかしさで
止めないで。
そして、
その「タブー」は
あなたの苦手な人や
パートナーが持っているのです。
そんなオチですわ。
ゲスく
生きよう。
------------------------------
いちばん大切なのは
自分自身に愛情深くなることだと私は言いたい。
厳しく当たらず、
優しくしなさい。
自分自身を気づかいなさい。
自分自身を許せるようになりなさい。
何度でも何度でも、
7回、77回、777回。
自分自身を許すことを学びなさい。
厳しくせずに、
自分自身に敵対しないことだ。
そうしたらあなたは花開く
画像は禅タロット 無垢
2017年2月20日月曜日
OSHO:混乱していると思ったら、 瞑想を続けなさい。
混乱していると思ったら、
瞑想を続けなさい。
瞑想は
光明を得る為の
ものではない。
瞑想は
混乱している人達の為にある。
瞑想は
光明には導かない。
混乱していることに
うんざりさせるに過ぎない。
瞑想は否定的に働く。
あなたから
事柄を奪い去る。
何も与えず、
ただ奪い続ける。
怒りが消え去る、
貪欲が消え去る、
欲望が消え去る。
あなたは持っているもの
全てを失っていく。
ゆっくりと
あなたの実存が
切り開かれていき、
ある日 突然
「無」しかなくなる。
まさにその時、
光が貫く。
貪欲、
怒り、
情念、
渇望、
憎しみ、
野心、
自我・・・
そうした全てのものが
道を塞(ふさ)いでいた。
光が
あなたを
貫かないようにしていた。
あなたは
静かに坐ることが出来ない。
何か考えるもの、
何かするものが必要だ。
あなたは
目標を欲しがる。
私がそれを取り去れば、
あなたは
「目標が
必要ないというのなら、
どうして
瞑想しなければ
ならないのですか」
と尋ねる。
それでも
瞑想は必要だ。
光明を得る為ではなく、
マインドの
この絶えざるせわしなさを
破壊する為に。
たった今
あなたが坐れば、
混乱しながら
坐ることになる。
その混乱は
だんだん大きくなる。
あなたは
それをかき集めるが、
ほとんど
耐え難いものになるだろう。
そうなったら
映画を見に出かけたり、
テレビを見たり、
クラブやどこかに
出かけざるを得ない。
瞑想には
浄化作用がある。
瞑想は、
あなたが内に
抱え込んでいる
全てのガラクタを
投げ捨てる。
あなたを
すっかり綺麗にする。
扉を開け、
目を開かせる。
太陽はそこにある。
あなたに
準備が出来れば、
それは
あなたを貫き始める。
OSHO:Take it Easy
2017年2月17日金曜日
OSHO : 人生に直面しなさい。
OSHO : 人生に直面しなさい。
悲しみ、投げやり、怒り、絶望、不安、苦悩、惨めさにかんして、唯一問題なのは、あなたがそれらから逃れたがっていることだ。それが唯一の障害だ。それらとともに生きていかなければいけない。逃げることはできない。人生はそうした状況のなかでこそ、統合され、成長していかなければならない。それは人生のチャレンジだ。それを受け容れなさい。
それは変装した祝福だ。それから逃げようとしたら、どうにかして排除しようとしたら、問題が生じてくる。というのも、なにかを排除しようとしたら、それを直視しなくなるからだ。非難の目で見るために、それはあなたから隠れるようになる。それは無意識のなか深くへ入り込んで、あなたの存在の暗い片隅に隠れ、見つけられなくなる。あなたの存在の地下室へと移動し、そこに隠れてしまう。当然、深くへ入り込めば入り込むほど、それは多くの問題をつくりだす。あなたの存在の未知の片隅から働くようになり、あなたには手出しができなくなる。
だからとにかく、けっして抑圧しないことだ。とにかく、あるがままを受け容れなさい。それを受け止めて、出てこさせる――自分の前に出てこさせる。じつのところ、「抑圧してはいけない」と言うだけでは不十分だ。許されるなら、私はこう言いたい、「それと仲良くなりなさい」と。
あなたが悲しいのなら、それと仲良くなり、それを哀れむことだ。悲しみにも存在がある。それを許し、それを抱きしめ、それといっしょに坐り、その手を握りなさい。仲良くなるがいい。それを好きになりなさい。悲しみは美しい! それはよくないものではない。悲しいのはよくないなんてだれが言ったのかね? それどころか、あなたに深みを与えられるのは悲しみしかない。笑いは底が浅い。幸福は皮一枚の厚さしかない。悲しみは骨にまで、髄にまで入り込む。悲しみほど深く入り込むものはない。
だから心配しなくていい。それといっしょにいれば、悲しみはあなたをもっとも奥深い中心にまで連れて行ってくれる。それに乗っていけば、自分の存在について今まで知らなかったいくつかの新しいことを知ることができる。そうしたことは悲しみのなかでしか明らかにならない。幸せなときにはけっして見えてこない。暗闇もまたいい。暗闇もまた神聖だ。昼間だけが存在なのではない。夜もまたそうだ。私はこの態度を宗教的と呼ぶ……。
忍耐強く悲しみのなかにいることができれば、ある朝、突然、ハートのなかにどこか未知の源泉から幸せがわき起こってくることに気がつく。その未知の源泉とは清らかな人格だ。本当に悲しんだら、それを自分のものにできる。本当に絶望し、投げやりで、不幸せで、惨めになり、地獄に生きるようになれば、天国を自分のものにできる。その対価は支払っている……。
人生に直面しなさい。人生に立ち向かいなさい。困難なときはあるだろうが、ある日、あなたは気がつく。それらに立ち向かったおかげで、その困難な瞬間が自分に強さを与えてくれた。それらはあってしかるべきものだった。そうした困難な瞬間は通り抜けているときは辛いが、後になってみると、それが自分をもっとしっかりさせてくれたことに気がつく。それがなかったら、あなたは中心に据わり、地に着くことはなかっただろう。
Osho,The Art of Dying, Talk #10〜
悲しみ、投げやり、怒り、絶望、不安、苦悩、惨めさにかんして、唯一問題なのは、あなたがそれらから逃れたがっていることだ。それが唯一の障害だ。それらとともに生きていかなければいけない。逃げることはできない。人生はそうした状況のなかでこそ、統合され、成長していかなければならない。それは人生のチャレンジだ。それを受け容れなさい。
それは変装した祝福だ。それから逃げようとしたら、どうにかして排除しようとしたら、問題が生じてくる。というのも、なにかを排除しようとしたら、それを直視しなくなるからだ。非難の目で見るために、それはあなたから隠れるようになる。それは無意識のなか深くへ入り込んで、あなたの存在の暗い片隅に隠れ、見つけられなくなる。あなたの存在の地下室へと移動し、そこに隠れてしまう。当然、深くへ入り込めば入り込むほど、それは多くの問題をつくりだす。あなたの存在の未知の片隅から働くようになり、あなたには手出しができなくなる。
だからとにかく、けっして抑圧しないことだ。とにかく、あるがままを受け容れなさい。それを受け止めて、出てこさせる――自分の前に出てこさせる。じつのところ、「抑圧してはいけない」と言うだけでは不十分だ。許されるなら、私はこう言いたい、「それと仲良くなりなさい」と。
あなたが悲しいのなら、それと仲良くなり、それを哀れむことだ。悲しみにも存在がある。それを許し、それを抱きしめ、それといっしょに坐り、その手を握りなさい。仲良くなるがいい。それを好きになりなさい。悲しみは美しい! それはよくないものではない。悲しいのはよくないなんてだれが言ったのかね? それどころか、あなたに深みを与えられるのは悲しみしかない。笑いは底が浅い。幸福は皮一枚の厚さしかない。悲しみは骨にまで、髄にまで入り込む。悲しみほど深く入り込むものはない。
だから心配しなくていい。それといっしょにいれば、悲しみはあなたをもっとも奥深い中心にまで連れて行ってくれる。それに乗っていけば、自分の存在について今まで知らなかったいくつかの新しいことを知ることができる。そうしたことは悲しみのなかでしか明らかにならない。幸せなときにはけっして見えてこない。暗闇もまたいい。暗闇もまた神聖だ。昼間だけが存在なのではない。夜もまたそうだ。私はこの態度を宗教的と呼ぶ……。
忍耐強く悲しみのなかにいることができれば、ある朝、突然、ハートのなかにどこか未知の源泉から幸せがわき起こってくることに気がつく。その未知の源泉とは清らかな人格だ。本当に悲しんだら、それを自分のものにできる。本当に絶望し、投げやりで、不幸せで、惨めになり、地獄に生きるようになれば、天国を自分のものにできる。その対価は支払っている……。
人生に直面しなさい。人生に立ち向かいなさい。困難なときはあるだろうが、ある日、あなたは気がつく。それらに立ち向かったおかげで、その困難な瞬間が自分に強さを与えてくれた。それらはあってしかるべきものだった。そうした困難な瞬間は通り抜けているときは辛いが、後になってみると、それが自分をもっとしっかりさせてくれたことに気がつく。それがなかったら、あなたは中心に据わり、地に着くことはなかっただろう。
Osho,The Art of Dying, Talk #10〜
2016年12月31日土曜日
自分を愛すれば愛するほどに、 あなたは他と分離してはいないことに気づく
SheelさんのFBより
他人を思いやる時、
最も基本的で
必要とされることは
自分自身を思いやることだ。
私は自己奉仕を教える。
そうすれば
その結果として、
全面的に
違ったヴィジョンが
姿を現わす。
自分に奉仕し、
自分を楽しみ、
自分を愛し、
自分に敬意を払う人は、
必ずや他人にも敬意を払う。
なぜなら
そのような人はだんだんと、
他人の中にも
自分と同じ生命が
宿っていることに
気づくからだ。
自分を
愛すれば愛するほどに、
あなたは
他と分離してはいないことに
気づく。
融合が
体感出来るのは、
愛をおいて他にはない。
自分自身を
愛すれば愛するほどに、
あなたは
あらゆる定義が誤りであり、
あらゆる境界が
恣意的であることを
知るようになる。
自己の実存と交わり
溶け合うほどに、
自己の内面世界に
酔いしれるほどに。
自分が他と
分離した存在ではなく、
宇宙はひとつであることを
知るようになる。
だから
私達はそれを
宇宙(universe)と呼ぶ。
uniとは、
ひとつという意味だ。
Multiuniverse(複数の宇宙)とは
呼ばない。
それはひとつだ。
ひとつの全体性だ。
私達は互いに
部分を担っている。
孤立した人間は
1人としていない。
目には見えないが
無限のひとつの大陸に、
私達は属している。
無限性が私達の存在だ。
しかし
その体験が起こるのは、
自己を実現し始めた者達だけだ。
自分を愛するあまり
ただ1人、
目を閉じるだけで
至福の絶頂を感じることが
出来る者達だけに。
それが瞑想の何たるかだ。
瞑想とは、
独りであることに
無上の幸福を感じることだ。
だが
独りであることに
無上の幸福を感じると、
人はやがて
その恍惚感があまりに大きくて、
独りでは支え切れなくなる。
それはあなたから溢れ始める。
そしてそれが溢れ始める時、
愛に姿を変える。
瞑想は、
愛が起こることを可能にする。
瞑想を知らない人々は
決して愛を知ることはない。
知っている振りを
するかも知れないが、
それは不可能だ。
そういう人々は
知っている振りを
しているに過ぎない。
なぜなら、
彼らには何一つ
与えるものがないからだ。
溢れ出すものがないからだ。
愛とは分かち合いだ。
だが分かち合う前に、
まずそれを
手にしていなくてはならない!
まず初めに、
瞑想ありきだ。
瞑想こそが中心であり、
愛はその周辺だ。
瞑想こそが炎であり、
愛はその放射熱だ。
瞑想こそが花であり、
愛はその芳香だ。
私は瞑想を教える。
なぜなら、
あなたの実存に
愛が起こることを
可能にするのは
瞑想だけだからだ。
溢れ出すものがある時、
あたかも
瞑想から起こる影のごとく、
あなたは
他者と関係を持ち始め、
他者を思いやり始め、
生の中に
奉仕というものが
湧き上がる。
それは
強要されるべきものではない。
それは
義務であってはならない。
「義務」とは卑劣な言葉だ。
何かを義務として行う時、
それは強要され、
作為的で、
本物ではない。
それは偽りだから、
あなたを偽善者に仕立て上げる。
自分ひとりでは
支え切れずに
あなたが溢れ出す時、
全く異なった質が
あなたの実存から姿を現わす。
あなたは愛さずにはいられず、
分かち合わずにはいられない。
そして
分かち合いの素晴らしさは、
与えれば与えるほどに
自分も得るということだ。
愛の中に自分を空っぽにするほど、
人は満たされていると感じる。
OSHO - Come,Come,Yet Again Come
他人を思いやる時、
最も基本的で
必要とされることは
自分自身を思いやることだ。
私は自己奉仕を教える。
そうすれば
その結果として、
全面的に
違ったヴィジョンが
姿を現わす。
自分に奉仕し、
自分を楽しみ、
自分を愛し、
自分に敬意を払う人は、
必ずや他人にも敬意を払う。
なぜなら
そのような人はだんだんと、
他人の中にも
自分と同じ生命が
宿っていることに
気づくからだ。
自分を
愛すれば愛するほどに、
あなたは
他と分離してはいないことに
気づく。
融合が
体感出来るのは、
愛をおいて他にはない。
自分自身を
愛すれば愛するほどに、
あなたは
あらゆる定義が誤りであり、
あらゆる境界が
恣意的であることを
知るようになる。
自己の実存と交わり
溶け合うほどに、
自己の内面世界に
酔いしれるほどに。
自分が他と
分離した存在ではなく、
宇宙はひとつであることを
知るようになる。
だから
私達はそれを
宇宙(universe)と呼ぶ。
uniとは、
ひとつという意味だ。
Multiuniverse(複数の宇宙)とは
呼ばない。
それはひとつだ。
ひとつの全体性だ。
私達は互いに
部分を担っている。
孤立した人間は
1人としていない。
目には見えないが
無限のひとつの大陸に、
私達は属している。
無限性が私達の存在だ。
しかし
その体験が起こるのは、
自己を実現し始めた者達だけだ。
自分を愛するあまり
ただ1人、
目を閉じるだけで
至福の絶頂を感じることが
出来る者達だけに。
それが瞑想の何たるかだ。
瞑想とは、
独りであることに
無上の幸福を感じることだ。
だが
独りであることに
無上の幸福を感じると、
人はやがて
その恍惚感があまりに大きくて、
独りでは支え切れなくなる。
それはあなたから溢れ始める。
そしてそれが溢れ始める時、
愛に姿を変える。
瞑想は、
愛が起こることを可能にする。
瞑想を知らない人々は
決して愛を知ることはない。
知っている振りを
するかも知れないが、
それは不可能だ。
そういう人々は
知っている振りを
しているに過ぎない。
なぜなら、
彼らには何一つ
与えるものがないからだ。
溢れ出すものがないからだ。
愛とは分かち合いだ。
だが分かち合う前に、
まずそれを
手にしていなくてはならない!
まず初めに、
瞑想ありきだ。
瞑想こそが中心であり、
愛はその周辺だ。
瞑想こそが炎であり、
愛はその放射熱だ。
瞑想こそが花であり、
愛はその芳香だ。
私は瞑想を教える。
なぜなら、
あなたの実存に
愛が起こることを
可能にするのは
瞑想だけだからだ。
溢れ出すものがある時、
あたかも
瞑想から起こる影のごとく、
あなたは
他者と関係を持ち始め、
他者を思いやり始め、
生の中に
奉仕というものが
湧き上がる。
それは
強要されるべきものではない。
それは
義務であってはならない。
「義務」とは卑劣な言葉だ。
何かを義務として行う時、
それは強要され、
作為的で、
本物ではない。
それは偽りだから、
あなたを偽善者に仕立て上げる。
自分ひとりでは
支え切れずに
あなたが溢れ出す時、
全く異なった質が
あなたの実存から姿を現わす。
あなたは愛さずにはいられず、
分かち合わずにはいられない。
そして
分かち合いの素晴らしさは、
与えれば与えるほどに
自分も得るということだ。
愛の中に自分を空っぽにするほど、
人は満たされていると感じる。
OSHO - Come,Come,Yet Again Come
2016年12月10日土曜日
OSHO あなたが開いていたら 全存在はあなたの友になる
もし
真に無防御であるならば
あなたにとって
否定的なものは何も無い
否定性はあなたの解釈だ
あなたにとって
有害なものは何も無い
有害性はあなたの解釈だ
もし
真に開放的であるならば
何ものにも害されることはない――
何ものも有害だとは思えない
何かが有害だと思えるのは
あなたが
抵抗しているからであり
あなたが
敵対しているからであり
それを受け容れていないからこそだ
このことを
深く理解するように
敵だと思うのは
あなたが
自分を守っているからだ
敵だと思うのは
あなたが
開放的でないからだ
もし開放的だったら
<存在>はすべて友好的だ
そうでないということはあり得ない
実際それを
友好的だと感じることさえない――
それは
ただ友好的であるばかりだ
それを
「友好的だ」と思う感覚すらない
そういう感覚があるのは
「敵対性」という
反対の感覚があるからだ
つまりこういうことだ
無防御というのは
不確実性の中で生きる
覚悟があることだ
深い意味では
「死ぬ覚悟さえある」
ということだ
抵抗したり
敵対したり
妨害したりすることがない
もし死が来ても
それに対して抵抗することもない
ただ死の起こるのをゆるす
<存在>を全面的に受け容れる
だとしたら
どうしてそれが
死だと感じられるだろう
否定するということは
それを敵とみなすことだ
もし否定しなかったら
どうしてそれを
敵とみなせるだろう
敵ができるのは
自分の否定のせいだ
死はあなたを害しはしない
害されるというのは自分の解釈だ
もはや誰もあなたを害さない――
もうそれは不可能になっている
これこそ
道家(タオイスト)の教えの秘密だ
老子の教えの根本はこうだ――
受け容れれば<存在>全ては味方になる
それは必然だ
否定すれば敵ができる
否定すればするほど
防御すればするほど
守れば守るほど
ますます多くの敵ができる
敵は自分の創造物だ
敵というのは
外側に存在するのではなく
自らの解釈の中につくるものだ
いったんこれが理解できたら
こうした質問は決して生じない――
「私は無防御で開放的だが
どうして周囲の否定的な波動から
自分を守ったらいいか」――
そのように言ったりはしない
もはや
否定的なものは何も無い
いったい
否定的なものとは何を意味するのか
否定的なものとは
自分が拒否したいと思うもの
自分が受け容れたくないと思うもの
自分が有害だと思うものだ
それはつまり
自分が開放的でないということ
瞑想状態にないということだ
この質問は
全く観念的な質問だ
体験し感じた質問ではない
あなたは未だ瞑想を知らない
あなたはただ考えているだけだ
そしてその考えは単なる推測だ
あなたはこう推測する
「もし私が瞑想し、開放的になったら、
きっと不安定になるだろう。
そして否定的な波動が私の中に入り、
害を働くだろう。
そうしたら、
どうやって自分を守ったらいいだろうか」
これは推測による質問だ
推測による質問を
私に持ち出してはいけない
そういう質問は不毛であり
見当違いだ
瞑想し
開放的になる
そうすれば決して
このような質問を持ち出すことはあるまい
なぜなら
その開放性そのものによって
否定性は消滅するからだ
そうすれば
否定的なものは無くなる
また何かを
否定的だと考えたら
開放的になれなくなる
否定性に対する恐怖それ自体が
閉鎖性を生み出す
あなたは閉じてしまう……
開くことができない
「何々に害されるかも知れない」
という恐怖があったら
どうして
無防御になれるだろう
だからこそ私は強調するのだ――
死の恐怖が消失しないかぎり
無防御にはなれないし
開放的にはなれない
そしていつまでも
自分自身のマインドの中で
自分自身の牢獄の中で
閉じたままだ
ものごとの推測なら
いくらでもできるが
推測とはすべて誤りだ
マインドは
瞑想について何も知ることができない
瞑想の領域を見通すのは不可能だ
マインドが完全に停止するとき
瞑想は起こる
だから推測は不可能だ……
瞑想については考えられない
瞑想については
知っているか
知らないか
のどちらかで
考えることはできない
要は開放的になることだ
そうすればその
自分の開放性によって
<存在>の中の
否定的なもの全てが消え去る
死でさえも否定的でなくなる
否定的なものは何も無い
自分の恐怖こそが否定性を生み出す
奥深くで
あなたは恐れている――
恐れているせいで
色々な安全策を作り出す
その安全策が敵を作り出す
自分が敵を作り出すというこの事実を
良く見極めることだ
<存在>は
あなたに敵対的ではない
どうして
そんなことがあり得るだろう
あなたは
<存在>に属している……
まさにあなたは
<存在>の一部分
有機的な一部分だ
どうして
<存在>があなたに敵対し得るだろう
あなたは<存在>だ
あなたは分離していない
あなたと<存在>との間に隙間は無い
否定性や死や敵や憎しみを感知するとき
もしあなたが開放的で無防御だったら
きっと
「自分は<存在>によって破壊されてしまう」
と思う
そこで自己防御の必要を考える
防衛だけではない――
なぜなら最大の防御は攻撃だからだ
単なる防御に終始するだけではない
自己防御の必要を考えるとき
あなたは攻撃的になる
なぜなら攻撃すること
攻勢に出ること
それは自分自身を
守る一番の方法だからだ
恐怖が
敵を作り出し
敵は
防御を作り出し
そして
防御は
攻撃を作り出す
こうしてあなたは
暴力的になる――
つねに防御の体勢をとる
誰に対しても敵対している
この点を理解するように
恐怖を抱いているとき
あなたは誰に対しても敵対的だ
程度の差こそあれ
敵も友もみな等しく敵だ
友のほうが
敵対性が少ないというだけだ
自分の夫や妻もまた敵だ
どうにか関係をとりもち
上手く調整しているというだけの話だ
あるいはたぶん
二人に共通の大敵がいて
その共通の大敵に対抗して
二人は一緒になり
徒党を組むということもあるだろう――
しかし敵対性はそのままだ
もしあなたが閉じていたら
全存在はあなたにとって敵対的だ
現実にそうだというのではなく
あなたにとってそう
映るということだ
あなたが開いていたら
全存在はあなたの友になる
しかし閉じていたら
友でさえも敵だ
それ以外にはあり得ない
奥底では友さえも恐れている
Osho - Vigyan Bhairav Tantra
真に無防御であるならば
あなたにとって
否定的なものは何も無い
否定性はあなたの解釈だ
あなたにとって
有害なものは何も無い
有害性はあなたの解釈だ
もし
真に開放的であるならば
何ものにも害されることはない――
何ものも有害だとは思えない
何かが有害だと思えるのは
あなたが
抵抗しているからであり
あなたが
敵対しているからであり
それを受け容れていないからこそだ
このことを
深く理解するように
敵だと思うのは
あなたが
自分を守っているからだ
敵だと思うのは
あなたが
開放的でないからだ
もし開放的だったら
<存在>はすべて友好的だ
そうでないということはあり得ない
実際それを
友好的だと感じることさえない――
それは
ただ友好的であるばかりだ
それを
「友好的だ」と思う感覚すらない
そういう感覚があるのは
「敵対性」という
反対の感覚があるからだ
つまりこういうことだ
無防御というのは
不確実性の中で生きる
覚悟があることだ
深い意味では
「死ぬ覚悟さえある」
ということだ
抵抗したり
敵対したり
妨害したりすることがない
もし死が来ても
それに対して抵抗することもない
ただ死の起こるのをゆるす
<存在>を全面的に受け容れる
だとしたら
どうしてそれが
死だと感じられるだろう
否定するということは
それを敵とみなすことだ
もし否定しなかったら
どうしてそれを
敵とみなせるだろう
敵ができるのは
自分の否定のせいだ
死はあなたを害しはしない
害されるというのは自分の解釈だ
もはや誰もあなたを害さない――
もうそれは不可能になっている
これこそ
道家(タオイスト)の教えの秘密だ
老子の教えの根本はこうだ――
受け容れれば<存在>全ては味方になる
それは必然だ
否定すれば敵ができる
否定すればするほど
防御すればするほど
守れば守るほど
ますます多くの敵ができる
敵は自分の創造物だ
敵というのは
外側に存在するのではなく
自らの解釈の中につくるものだ
いったんこれが理解できたら
こうした質問は決して生じない――
「私は無防御で開放的だが
どうして周囲の否定的な波動から
自分を守ったらいいか」――
そのように言ったりはしない
もはや
否定的なものは何も無い
いったい
否定的なものとは何を意味するのか
否定的なものとは
自分が拒否したいと思うもの
自分が受け容れたくないと思うもの
自分が有害だと思うものだ
それはつまり
自分が開放的でないということ
瞑想状態にないということだ
この質問は
全く観念的な質問だ
体験し感じた質問ではない
あなたは未だ瞑想を知らない
あなたはただ考えているだけだ
そしてその考えは単なる推測だ
あなたはこう推測する
「もし私が瞑想し、開放的になったら、
きっと不安定になるだろう。
そして否定的な波動が私の中に入り、
害を働くだろう。
そうしたら、
どうやって自分を守ったらいいだろうか」
これは推測による質問だ
推測による質問を
私に持ち出してはいけない
そういう質問は不毛であり
見当違いだ
瞑想し
開放的になる
そうすれば決して
このような質問を持ち出すことはあるまい
なぜなら
その開放性そのものによって
否定性は消滅するからだ
そうすれば
否定的なものは無くなる
また何かを
否定的だと考えたら
開放的になれなくなる
否定性に対する恐怖それ自体が
閉鎖性を生み出す
あなたは閉じてしまう……
開くことができない
「何々に害されるかも知れない」
という恐怖があったら
どうして
無防御になれるだろう
だからこそ私は強調するのだ――
死の恐怖が消失しないかぎり
無防御にはなれないし
開放的にはなれない
そしていつまでも
自分自身のマインドの中で
自分自身の牢獄の中で
閉じたままだ
ものごとの推測なら
いくらでもできるが
推測とはすべて誤りだ
マインドは
瞑想について何も知ることができない
瞑想の領域を見通すのは不可能だ
マインドが完全に停止するとき
瞑想は起こる
だから推測は不可能だ……
瞑想については考えられない
瞑想については
知っているか
知らないか
のどちらかで
考えることはできない
要は開放的になることだ
そうすればその
自分の開放性によって
<存在>の中の
否定的なもの全てが消え去る
死でさえも否定的でなくなる
否定的なものは何も無い
自分の恐怖こそが否定性を生み出す
奥深くで
あなたは恐れている――
恐れているせいで
色々な安全策を作り出す
その安全策が敵を作り出す
自分が敵を作り出すというこの事実を
良く見極めることだ
<存在>は
あなたに敵対的ではない
どうして
そんなことがあり得るだろう
あなたは
<存在>に属している……
まさにあなたは
<存在>の一部分
有機的な一部分だ
どうして
<存在>があなたに敵対し得るだろう
あなたは<存在>だ
あなたは分離していない
あなたと<存在>との間に隙間は無い
否定性や死や敵や憎しみを感知するとき
もしあなたが開放的で無防御だったら
きっと
「自分は<存在>によって破壊されてしまう」
と思う
そこで自己防御の必要を考える
防衛だけではない――
なぜなら最大の防御は攻撃だからだ
単なる防御に終始するだけではない
自己防御の必要を考えるとき
あなたは攻撃的になる
なぜなら攻撃すること
攻勢に出ること
それは自分自身を
守る一番の方法だからだ
恐怖が
敵を作り出し
敵は
防御を作り出し
そして
防御は
攻撃を作り出す
こうしてあなたは
暴力的になる――
つねに防御の体勢をとる
誰に対しても敵対している
この点を理解するように
恐怖を抱いているとき
あなたは誰に対しても敵対的だ
程度の差こそあれ
敵も友もみな等しく敵だ
友のほうが
敵対性が少ないというだけだ
自分の夫や妻もまた敵だ
どうにか関係をとりもち
上手く調整しているというだけの話だ
あるいはたぶん
二人に共通の大敵がいて
その共通の大敵に対抗して
二人は一緒になり
徒党を組むということもあるだろう――
しかし敵対性はそのままだ
もしあなたが閉じていたら
全存在はあなたにとって敵対的だ
現実にそうだというのではなく
あなたにとってそう
映るということだ
あなたが開いていたら
全存在はあなたの友になる
しかし閉じていたら
友でさえも敵だ
それ以外にはあり得ない
奥底では友さえも恐れている
Osho - Vigyan Bhairav Tantra
2016年10月22日土曜日
遺伝だから 治らないから 仕方がない・・・ あきらめのワイルドローズなど
バッチ博士の本より引用させていただきます。
ワイルドローズ
ー前略ー
彼らは、親や親せきにどこか悪いところがあったので自分にも当然それが遺伝していると思うことが非常によくある。こういう人は、
「それは私の家族にあることなのだから、私もそれにかかると思わなきゃならないわ」とまで言う。
また彼らは「不治の」病だという判断を受け入れ、
「これは一生つきまとうので、我慢しなきゃならないわ」と言いがちだ。
~「フラワーレメディハンドブック」 より ~
受け入れることは大切ですが、それであきらめてしまうと それは停滞になります。
私が最近気がついたことのひとつに こんなことがあります。
例えば もう何年もちょっとした問題をかかえていて
それがまったく変化することなく そこにある という不思議
変化 は 唯一変わらずあるもの であるはずなのに です
そして 思い出したのです
ときおり そのちょっとした問題が起きたときのことを ありありと そして ちょくちょく思い出して
確認しているということに
つまり 私は そのときの状況を ちょくちょく 今ここに持ち込んでいる
そんなことを してるんじゃないかと
というわけで また 自分の体で 実験してみたいなと 笑 思ったりしています。
毎回 病気のことや 何かの出来事を話すとき
必ず持ち出す話題や 思い出す何かはないでしょうか?
それと・・・
セドナメソッドをするようになって 気付いたことがあります
セドナメソッドは バッチフラワーレメディと 同じような発想のもとに生まれているのですが
違うのは 何も使わないこと
今感じたり 考えたりしていることを 決まったやり方で 手放していくだけ
という シンプルなものです
パッチフラワーレメディのように 必ず 表層にあるものから解放していきます
はっきりと わからないものであってもかまいません
それをそのまま 解放していくのです
それをしていて 気付いたのですが
何度もやっていると
残っている感情を 骨や臓器に感じるのです
やっぱり 体も受け止めてくれてるんだなと 思いました
だから それが行き過ぎると 受け止め切れなくて 別の形になってしまうのかなと・・・
ヒマラヤンフラワーエンハンサーのなかに
チルドレンズフラワー
というものがあります
最近気になってしかたがないエッセンス
チルドレンズ フラワー Children's Flower
子供達を守る為に。
子供が社会・文化的な条件付けに身をさらされながらも、生まれながらにして持っていたままの自然界とのつながりを持てるように。
楽しさ、喜び、遊び心、無邪気さ、快活さ、人生の神秘に対する感嘆と畏敬の念を呼び起こします。
大人の場合:インナー・チャイルドを取り戻し、幼い頃に条件付けられた望ましくないパターンを手放すことで子供の無邪気さと遊び心が出てこられるように。
また、苦しんでいる動物の助けにもなります。
OSHO禅タロットなら 無垢 のカード みたいな感じでしょうか
それとも 遊びに満ちる カードでしょうか?
ぜひ無気力から 本質へと移行してください
お話があちこちそれてしまいましたが
あまりに長い間 おつきあいしている何か(病気 感情 など)があって
それに対して 無気力だったりするときは バッチフラワーの ワイルドローズ
色々試してみるものの どこか深いところであきらめているときは ゴース
それらが 自分の中でブラックホールみたいになっているときは スウィートチェストナット
そんな風に 分けてもらったらいいと思います
これらは かならず数ヶ月単位の長期でお試しください。
希望の光をもたらしてくれる素晴らしいレメディです。
ワイルドローズ
ー前略ー
彼らは、親や親せきにどこか悪いところがあったので自分にも当然それが遺伝していると思うことが非常によくある。こういう人は、
「それは私の家族にあることなのだから、私もそれにかかると思わなきゃならないわ」とまで言う。
また彼らは「不治の」病だという判断を受け入れ、
「これは一生つきまとうので、我慢しなきゃならないわ」と言いがちだ。
~「フラワーレメディハンドブック」 より ~
受け入れることは大切ですが、それであきらめてしまうと それは停滞になります。
私が最近気がついたことのひとつに こんなことがあります。
例えば もう何年もちょっとした問題をかかえていて
それがまったく変化することなく そこにある という不思議
変化 は 唯一変わらずあるもの であるはずなのに です
そして 思い出したのです
ときおり そのちょっとした問題が起きたときのことを ありありと そして ちょくちょく思い出して
確認しているということに
つまり 私は そのときの状況を ちょくちょく 今ここに持ち込んでいる
そんなことを してるんじゃないかと
というわけで また 自分の体で 実験してみたいなと 笑 思ったりしています。
毎回 病気のことや 何かの出来事を話すとき
必ず持ち出す話題や 思い出す何かはないでしょうか?
それと・・・
セドナメソッドをするようになって 気付いたことがあります
セドナメソッドは バッチフラワーレメディと 同じような発想のもとに生まれているのですが
違うのは 何も使わないこと
今感じたり 考えたりしていることを 決まったやり方で 手放していくだけ
という シンプルなものです
パッチフラワーレメディのように 必ず 表層にあるものから解放していきます
はっきりと わからないものであってもかまいません
それをそのまま 解放していくのです
それをしていて 気付いたのですが
何度もやっていると
残っている感情を 骨や臓器に感じるのです
やっぱり 体も受け止めてくれてるんだなと 思いました
だから それが行き過ぎると 受け止め切れなくて 別の形になってしまうのかなと・・・
ヒマラヤンフラワーエンハンサーのなかに
チルドレンズフラワー
というものがあります
最近気になってしかたがないエッセンス
チルドレンズ フラワー Children's Flower
子供達を守る為に。
子供が社会・文化的な条件付けに身をさらされながらも、生まれながらにして持っていたままの自然界とのつながりを持てるように。
楽しさ、喜び、遊び心、無邪気さ、快活さ、人生の神秘に対する感嘆と畏敬の念を呼び起こします。
大人の場合:インナー・チャイルドを取り戻し、幼い頃に条件付けられた望ましくないパターンを手放すことで子供の無邪気さと遊び心が出てこられるように。
また、苦しんでいる動物の助けにもなります。
OSHO禅タロットなら 無垢 のカード みたいな感じでしょうか
それとも 遊びに満ちる カードでしょうか?
ぜひ無気力から 本質へと移行してください
お話があちこちそれてしまいましたが
あまりに長い間 おつきあいしている何か(病気 感情 など)があって
それに対して 無気力だったりするときは バッチフラワーの ワイルドローズ
色々試してみるものの どこか深いところであきらめているときは ゴース
それらが 自分の中でブラックホールみたいになっているときは スウィートチェストナット
そんな風に 分けてもらったらいいと思います
これらは かならず数ヶ月単位の長期でお試しください。
希望の光をもたらしてくれる素晴らしいレメディです。
2016年10月21日金曜日
水と恐怖、混乱に パシフィックエッセンスからブラウンケルプ
今日は 昼前に天橋立に向けて出発。
ところが・・・
自分のミスなんですが 汗
途中で カーナビの表示がぐちゃぐちゃになって・・・
あと16キロなのに 到着まで 一時間とか・・・
急いでるときにかぎって
物事のスピードを 徹底的に落とされる・・・
最近こんなことばかり・・・
で
そこで やっと自分が 経由地を入れたことを思い出したんですが・・・
途中で 携帯の地震速報が鳴って それも びっくり
怖かったです
でも なんとか想定内の時間に到着
やれやれ・・・
籠神社 真名井神社を 30分で参拝し 帰路へ
途中 携帯が鳴り 見てみると
友達からのメール
大神神社へ行ってきたよ~
と・・・
誰か 神社以外のメールください・・・
さて ここからが 本題です・・・
前にも書きましたが
水は腎 そして 感情
また パシフィックエッセンスの
ファイブエレメントの中にある 「水」 のテーマは「信頼」です
私は 少し水分を取りすぎるとバランスが崩れて
不安や恐怖に襲われることがあります
そこから 「わからない」へ行ってしまうこともよくあります
どうしたらいいか わからない という状態です
前回は漢方のご紹介をさせてもらったのですが
今回はエッセンスで見つけましたよ~
パシフィックエッセンスの ブラウンケルプ
上記の「水」のエッセンス にも 入っています。
ネイチャーワールドさんの説明によると
ブラウンケルプ Brown Kelp
混乱から自由になり、クリアな見方を助ける
人生が常に恐れと混乱に満ちている人、固定観念に捉われて、身動きが取れなくなっている人が混乱から自由になり、物の見方を変えて明晰さへと向かう為に。
人生で何か新しいことを始める時や、自然の摂理に沿った仕事や生き方をスタートする時に。それは自分の内なる中心につながり、そこでの心地良さを感じていられるからです。
◎チャクラ:ルート(第1)、クラウン(第7) ◎経絡:膀胱経
又 ファイブエレメント 水 の説明から
ブラウンケルプ Brown Kelp
私達が慣れ親しんだ信念から思い切って一歩を踏み出し。自らの存在の中心へ戻る助けをしてくれる
体内の水分を適切なレベルに保ち、恐れや混乱を溶かす
* * *
また このエッセンスについて 面白い記事を書いてくださっている方を見つけたので ブログのリンクを貼らせていただきますね
ブラウンケルプ:固定観念を捨て、明晰な見方をするために
信頼 には バッチフラワーレメディのセラトーがありますが
セラトーの人は 実は 答えを知っている人です
だから 本当は 誰かに聞いて回る必要がない人なのです
私は この ブラウンケルプのせいかどうかわかりませんが
自分に起こっていることが
これって もしかして 存在の計画?
と思えるようになってきました
視点がちょっと変わりつつあるのでしょうか?
また 水のバランスが極端に悪いときは
土である グラウンディングを強化するのは とてもおすすめです。
これぜひ 試してみてください。
私は自分で バッチから 土 にあうと思うレメディを選んで コンビネーションを作ってみたのですが
なかなか 素晴らしいと思いました。笑
これは バッチ本来の使い方とは違いますが
可能性を広げることは バッチ博士も喜んで下さると思います。
「存在とその豊かさを見てごらん
はたして,世界にこれだけ多くの花が必要だろうか?
バラの花だけでも充分だったろう
だが存在は豊かだ一 ―
無数の花々、無数の鳥たち、無数の動物たち・
すべてにおいて豊かだ OSHO」
フラワーエッセンスも やっぱり 必要があって 生まれてきたのだと思いました
ところが・・・
自分のミスなんですが 汗
途中で カーナビの表示がぐちゃぐちゃになって・・・
あと16キロなのに 到着まで 一時間とか・・・
急いでるときにかぎって
物事のスピードを 徹底的に落とされる・・・
最近こんなことばかり・・・
で
そこで やっと自分が 経由地を入れたことを思い出したんですが・・・
途中で 携帯の地震速報が鳴って それも びっくり
怖かったです
でも なんとか想定内の時間に到着
やれやれ・・・
籠神社 真名井神社を 30分で参拝し 帰路へ
途中 携帯が鳴り 見てみると
友達からのメール
大神神社へ行ってきたよ~
と・・・
誰か 神社以外のメールください・・・
さて ここからが 本題です・・・
前にも書きましたが
水は腎 そして 感情
また パシフィックエッセンスの
ファイブエレメントの中にある 「水」 のテーマは「信頼」です
私は 少し水分を取りすぎるとバランスが崩れて
不安や恐怖に襲われることがあります
そこから 「わからない」へ行ってしまうこともよくあります
どうしたらいいか わからない という状態です
前回は漢方のご紹介をさせてもらったのですが
今回はエッセンスで見つけましたよ~
パシフィックエッセンスの ブラウンケルプ
上記の「水」のエッセンス にも 入っています。
ネイチャーワールドさんの説明によると
ブラウンケルプ Brown Kelp
混乱から自由になり、クリアな見方を助ける
人生が常に恐れと混乱に満ちている人、固定観念に捉われて、身動きが取れなくなっている人が混乱から自由になり、物の見方を変えて明晰さへと向かう為に。
人生で何か新しいことを始める時や、自然の摂理に沿った仕事や生き方をスタートする時に。それは自分の内なる中心につながり、そこでの心地良さを感じていられるからです。
◎チャクラ:ルート(第1)、クラウン(第7) ◎経絡:膀胱経
又 ファイブエレメント 水 の説明から
ブラウンケルプ Brown Kelp
私達が慣れ親しんだ信念から思い切って一歩を踏み出し。自らの存在の中心へ戻る助けをしてくれる
体内の水分を適切なレベルに保ち、恐れや混乱を溶かす
* * *
また このエッセンスについて 面白い記事を書いてくださっている方を見つけたので ブログのリンクを貼らせていただきますね
ブラウンケルプ:固定観念を捨て、明晰な見方をするために
信頼 には バッチフラワーレメディのセラトーがありますが
セラトーの人は 実は 答えを知っている人です
だから 本当は 誰かに聞いて回る必要がない人なのです
私は この ブラウンケルプのせいかどうかわかりませんが
自分に起こっていることが
これって もしかして 存在の計画?
と思えるようになってきました
視点がちょっと変わりつつあるのでしょうか?
また 水のバランスが極端に悪いときは
土である グラウンディングを強化するのは とてもおすすめです。
これぜひ 試してみてください。
私は自分で バッチから 土 にあうと思うレメディを選んで コンビネーションを作ってみたのですが
なかなか 素晴らしいと思いました。笑
これは バッチ本来の使い方とは違いますが
可能性を広げることは バッチ博士も喜んで下さると思います。
「存在とその豊かさを見てごらん
はたして,世界にこれだけ多くの花が必要だろうか?
バラの花だけでも充分だったろう
だが存在は豊かだ一 ―
無数の花々、無数の鳥たち、無数の動物たち・
すべてにおいて豊かだ OSHO」
フラワーエッセンスも やっぱり 必要があって 生まれてきたのだと思いました
2016年10月10日月曜日
好きなだけタバコを吸うことだ。OSHO
くつろぎなさい。
頑張らないこと、
なぜなら、
頑張るのではなく、
くつろぐことを通じて、
初めてあなたは
気づくことができるからだ。
穏やかに、
静かに、
安らかになりなさい。
私が勧めるのは、
好きなだけタバコを吸うことだ。
まず第一に、
それは罪ではない。
私が保証しよう、
私が責任を取ろう。
私がその責任を負うから、
最後の審判の日に神に会ったら、
この男に責任があると言ってかまわない。
私はそこに証人として立ち、
あなたに責任はないと証言しよう。
だから、
これは罪なのではないかと
心配してはいけない。
くつろぎなさい、
そして努力によって
それを落とそうとしないこと。
だめだ、
それではうまくいかない。
禅は無努力の理解に信を置く。
だから私はこう提案する——
好きなだけタバコを吸いなさい、
ただ、
瞑想的にタバコを吸うこと。
禅の人びとが
茶を瞑想的に飲めるなら、
あなたも瞑想的に
タバコを吸えないはずがない。
実際、
茶には
タバコに含まれるような
刺激物が含まれている。
それは同じ刺激物であって、
大した違いはない。
瞑想的にタバコを吸いなさい、
とても宗教的に。
それを儀式にしなさい。
私のやり方でやってみなさい。
自宅に喫煙のための
ちょっとした一角を設けなさい。
タバコの神が祭られた、
その神に捧げられた小さな寺院を。
最初にタバコの箱にお辞儀しなさい。
タバコに語りかけ、
少し話をしなさい。
「お元気ですか?」と尋ねなさい。
それから
ゆっくりとタバコを取り出す、
とてもゆっくりと、
できるかぎりゆっくりと、
なぜなら、
ゆっくりとそれを取って初めて
あなたは気づくからだ。
いつもやっているように、
それを機械的にやってはいけない。
次にそのタバコをトントンと、
とてもゆっくりと、
心行くまで箱に打ちつけるがいい。
ここでも急ぐことはない。
次にライターを取り出して、
ライターにお辞儀をしなさい。
どちらも偉大な神々、神霊だ!
火は神なのだから、
ライターが神でないはずがない。
次にとてもゆっくりと、
ヴィパッサナのように、
タバコを吸いはじめなさい。
それをプラーナヤーマのように、
素早く、忙しく、深くやらないこと、
とてもゆっくりとやりなさい。
仏陀は「自然に呼吸せよ」と言う。
だからあなたも
自然にタバコを吸いなさい。
とてもゆっくりと、
急がずに。
それが罪なら、
あなたは急いでやる。
それが罪なら、
あなたは早くそれを済ませたい。
それが罪なら、
あなたはそれを直視したくない。
あなたは新聞を読みながら
タバコを吸いつづける。
だれが罪を直視したがるだろう?
だが、
それは罪ではないから、
よくそれを見なさい、
自分の動作のいちいちを
見つめなさい。
とてもゆっくりと動けるように、
自分の動作を
細かい部分に分割しなさい。
するとあなたは驚くだろう、
喫煙を見守ることによって、
だんだんと
喫煙の回数が減っていく。
そしてある日突然……
それは去ってしまう。
あなたはいっさい
それを落とす努力をしなかった。
それはひとりでに落ちていった、
というのも、
死んだパターン、
決まった動作、
機械的な習慣に気づくことで、
あなたは自分のなかに
新しい意識のエネルギーをつくりだし、
解き放ったからだ。
そのエネルギーだけが助けになる。
他のなにものも助けにはならない。
これは喫煙に限ったことではなく、
人生のあらゆることに当てはまる。
自分を変えようと
頑張りすぎないこと。
それは傷跡を残す。
たとえ
あなたが変わったとしても、
あなたの変化は
表面的なものにとどまる。
そしてあなたはどこかで
代わりのものを見つける。
あなたは代わりのものを
見つけるしかない、
そうでないと
空しい気がするからだ。
なにかが
ひとりでに消えていくときには……
というのも、
あなたはとても静かに
その愚かさに気づいので、
なんの努力もいらなかったからだ……
木から枯れ葉が落ちるように、
それがあっさりと落ちるときには、
後に傷跡が残らない、
後にエゴが残らない。
あなたが努力によって
なにかを落としたなら、
それは巨大なエゴをつくりだす。
あなたは考えはじめる、
「私はとても徳の高い人間になった、
なにしろ、
タバコを吸わないのだから」
あなたが
喫煙を罪と考えていたら、
自然と、間違いなく、
それを落としたとき
自分はとても徳の高い人間だと
考える。
世の徳の高い人間は
そのような人たちだ。
ある者はタバコを吸わず、
ある者は酒を飲まず、
ある者は日に一度しか食べず、
ある者は夜には食べず、
ある者は
夜に水分を取ることさえしない……
そして彼らは
偉大な聖者とみなされている!
そういったものが
聖者の資質、
偉大な美徳だ!
私たちは宗教を
とてもばかげたものに
してしまった。
それはすべての栄光を
失ってしまった。
それは人びとと同じように
愚かなものになってしまった。
だが、
すべては
あなたの物の見方にかかっている。
あるものを罪と考えたなら、
その反対のものが美徳になる。
改めて言っておこう、
タバコを吸わないことは
美徳ではなく、
タバコを吸うことは罪ではない。
気づきが美徳であり、
気づきのなさが罪だ。
そしてその同じ法則が
あなたの生全体にも当てはまる。
Osho - Ah, This!
頑張らないこと、
なぜなら、
頑張るのではなく、
くつろぐことを通じて、
初めてあなたは
気づくことができるからだ。
穏やかに、
静かに、
安らかになりなさい。
私が勧めるのは、
好きなだけタバコを吸うことだ。
まず第一に、
それは罪ではない。
私が保証しよう、
私が責任を取ろう。
私がその責任を負うから、
最後の審判の日に神に会ったら、
この男に責任があると言ってかまわない。
私はそこに証人として立ち、
あなたに責任はないと証言しよう。
だから、
これは罪なのではないかと
心配してはいけない。
くつろぎなさい、
そして努力によって
それを落とそうとしないこと。
だめだ、
それではうまくいかない。
禅は無努力の理解に信を置く。
だから私はこう提案する——
好きなだけタバコを吸いなさい、
ただ、
瞑想的にタバコを吸うこと。
禅の人びとが
茶を瞑想的に飲めるなら、
あなたも瞑想的に
タバコを吸えないはずがない。
実際、
茶には
タバコに含まれるような
刺激物が含まれている。
それは同じ刺激物であって、
大した違いはない。
瞑想的にタバコを吸いなさい、
とても宗教的に。
それを儀式にしなさい。
私のやり方でやってみなさい。
自宅に喫煙のための
ちょっとした一角を設けなさい。
タバコの神が祭られた、
その神に捧げられた小さな寺院を。
最初にタバコの箱にお辞儀しなさい。
タバコに語りかけ、
少し話をしなさい。
「お元気ですか?」と尋ねなさい。
それから
ゆっくりとタバコを取り出す、
とてもゆっくりと、
できるかぎりゆっくりと、
なぜなら、
ゆっくりとそれを取って初めて
あなたは気づくからだ。
いつもやっているように、
それを機械的にやってはいけない。
次にそのタバコをトントンと、
とてもゆっくりと、
心行くまで箱に打ちつけるがいい。
ここでも急ぐことはない。
次にライターを取り出して、
ライターにお辞儀をしなさい。
どちらも偉大な神々、神霊だ!
火は神なのだから、
ライターが神でないはずがない。
次にとてもゆっくりと、
ヴィパッサナのように、
タバコを吸いはじめなさい。
それをプラーナヤーマのように、
素早く、忙しく、深くやらないこと、
とてもゆっくりとやりなさい。
仏陀は「自然に呼吸せよ」と言う。
だからあなたも
自然にタバコを吸いなさい。
とてもゆっくりと、
急がずに。
それが罪なら、
あなたは急いでやる。
それが罪なら、
あなたは早くそれを済ませたい。
それが罪なら、
あなたはそれを直視したくない。
あなたは新聞を読みながら
タバコを吸いつづける。
だれが罪を直視したがるだろう?
だが、
それは罪ではないから、
よくそれを見なさい、
自分の動作のいちいちを
見つめなさい。
とてもゆっくりと動けるように、
自分の動作を
細かい部分に分割しなさい。
するとあなたは驚くだろう、
喫煙を見守ることによって、
だんだんと
喫煙の回数が減っていく。
そしてある日突然……
それは去ってしまう。
あなたはいっさい
それを落とす努力をしなかった。
それはひとりでに落ちていった、
というのも、
死んだパターン、
決まった動作、
機械的な習慣に気づくことで、
あなたは自分のなかに
新しい意識のエネルギーをつくりだし、
解き放ったからだ。
そのエネルギーだけが助けになる。
他のなにものも助けにはならない。
これは喫煙に限ったことではなく、
人生のあらゆることに当てはまる。
自分を変えようと
頑張りすぎないこと。
それは傷跡を残す。
たとえ
あなたが変わったとしても、
あなたの変化は
表面的なものにとどまる。
そしてあなたはどこかで
代わりのものを見つける。
あなたは代わりのものを
見つけるしかない、
そうでないと
空しい気がするからだ。
なにかが
ひとりでに消えていくときには……
というのも、
あなたはとても静かに
その愚かさに気づいので、
なんの努力もいらなかったからだ……
木から枯れ葉が落ちるように、
それがあっさりと落ちるときには、
後に傷跡が残らない、
後にエゴが残らない。
あなたが努力によって
なにかを落としたなら、
それは巨大なエゴをつくりだす。
あなたは考えはじめる、
「私はとても徳の高い人間になった、
なにしろ、
タバコを吸わないのだから」
あなたが
喫煙を罪と考えていたら、
自然と、間違いなく、
それを落としたとき
自分はとても徳の高い人間だと
考える。
世の徳の高い人間は
そのような人たちだ。
ある者はタバコを吸わず、
ある者は酒を飲まず、
ある者は日に一度しか食べず、
ある者は夜には食べず、
ある者は
夜に水分を取ることさえしない……
そして彼らは
偉大な聖者とみなされている!
そういったものが
聖者の資質、
偉大な美徳だ!
私たちは宗教を
とてもばかげたものに
してしまった。
それはすべての栄光を
失ってしまった。
それは人びとと同じように
愚かなものになってしまった。
だが、
すべては
あなたの物の見方にかかっている。
あるものを罪と考えたなら、
その反対のものが美徳になる。
改めて言っておこう、
タバコを吸わないことは
美徳ではなく、
タバコを吸うことは罪ではない。
気づきが美徳であり、
気づきのなさが罪だ。
そしてその同じ法則が
あなたの生全体にも当てはまる。
Osho - Ah, This!
2016年9月1日木曜日
続、ロックウォーター
写真は 高千穂峡です。
ものすごく行って見たい場所です。
昨日のロックウォーターについて 少しだけ。
完璧主義、
なので とてもストイックな人。
でも、完璧を追求するということは、
今の自分が完璧ではないと思っているということ
完璧を求めるたびに
今は完璧じゃない
が くっついてくる
ロックウォーターの人が 完璧にたどりつくことは永久にないのかもしれません。
ところで
バッチフラワーBOOK
という本があります。
38種類の花の説明と実際の症例がわかりやすく簡潔に書かれていて
とても使いやすい本です。
そして、
その花の1つ1つに
バッチ博士の言葉と、著名人や覚者の言葉が 短く添えてあります。
OSHOの言葉も載っているんですよ。きゃっ
* * * * *
上記の本にある言葉ではありませんが・・・・
神はそうしたいのだったら、
あなたをいくらでも完璧な人間に造るることができた。
ところがあなたは、実に素晴らしく不完全だ。
それははっきりしている。
OSHO
ものすごく行って見たい場所です。
昨日のロックウォーターについて 少しだけ。
完璧主義、
なので とてもストイックな人。
でも、完璧を追求するということは、
今の自分が完璧ではないと思っているということ
完璧を求めるたびに
今は完璧じゃない
が くっついてくる
ロックウォーターの人が 完璧にたどりつくことは永久にないのかもしれません。
ところで
バッチフラワーBOOK
という本があります。
38種類の花の説明と実際の症例がわかりやすく簡潔に書かれていて
とても使いやすい本です。
そして、
その花の1つ1つに
バッチ博士の言葉と、著名人や覚者の言葉が 短く添えてあります。
OSHOの言葉も載っているんですよ。きゃっ
* * * * *
上記の本にある言葉ではありませんが・・・・
ちょっとリラックスしなさい、
完璧でなくてもいいのだから。
完璧でなくてもいいのだから。
神はそうしたいのだったら、
あなたをいくらでも完璧な人間に造るることができた。
ところがあなたは、実に素晴らしく不完全だ。
それははっきりしている。
神は完璧な人間など造らず、
いつも不完全な人間を造ろうとする。
いつも不完全な人間を造ろうとする。
というのも、成長するには不完全であるしかないからだ。
完璧な人間は生まれたときから死んでいる。
もう何もすることがない、
成長していく可能性というものがない。
完璧な人間は生まれたときから死んでいる。
もう何もすることがない、
成長していく可能性というものがない。
不完全であって初めて成長できるのであり、
成長することこそ生きていることの喜びなのだ。
成長することこそ生きていることの喜びなのだ。
OSHO
2016年8月31日水曜日
自分にやさしく・・・ ロックウォーター
写真は
先月行った、京都府福知山の天岩戸神社です。
本当に・・・
なんともいいようのない、浄化された空間
そんな感じでした。
さて 今日はですね
ロック・ウォーター
というレメディをご紹介したいと思います。
これから 何度も重複して出てくるレメディもあるかと思いますが
はじめて読んだようなふりをして 読んでくださいね。笑
ロック・ウォーター
先月行った、京都府福知山の天岩戸神社です。
本当に・・・
なんともいいようのない、浄化された空間
そんな感じでした。
さて 今日はですね
ロック・ウォーター
というレメディをご紹介したいと思います。
これから 何度も重複して出てくるレメディもあるかと思いますが
はじめて読んだようなふりをして 読んでくださいね。笑
ロック・ウォーター
ラテン名 : Aqua
グループ : Seven Helpers
7つのグループ : 人のことを気にかけすぎている
慢性の状態 : 厳しい理想主義者
作成法 : 太陽法
(healing harbs さんよりお借りしました)
バッチ博士の説明から
非常に厳格な生き方をしている人です。人生の喜びや楽しみが、自分のなすべき仕事の妨げになるのではないかと考え、その多くを我慢します。自分を厳格に監督し、立派で有能で、活動的でありたいと願い、そのようにいられるならどんなこともいといません。他の人が心を惹きつけられ、自分の考えに従うことで、より良くなっていくようなよい手本でありたいと思っています。
『12の癒し手とその他のレメディー』より
あなたは、ご自分に優しいでしょうか?
たとえば、健康にこだわりすぎて、食べたいものも我慢したりしていませんか?
ロックウォーターは 理想主義、完ぺき主義の人にも合うレメディです。
自分自身を知らないうちに支配していたり、
また、自分自身が窮屈な思いをしたり
自分を抑圧しているようであれば、
ロックウォーターが合うと思います。
また こういったことは 自分の内側に緊張を生みます。
なので、ロックウォーターの人が リラックスできないな~
というときにも使ってください。
※ 同じ緊張でも、たとえば何かに没頭したり、入れ込みすぎて 興奮状態でリラックスできないときには バーベイン というレメディを使うと リラックスできたりします。
症例にもありますが、
緊張は血流の悪さを生んだりすることもあります。
また、かたくなさ、頑固さは、体の堅さとして出てくることもあります。
笑うことが増えてくると 体も柔軟になるはず
ロックウォーター
そんなに厳格でなくても、最近ちょっと自分に厳しいかも?
というときにも 気軽に使ってください。
自分を幸せにすること
本当に大事だと思います。ハイ!
こんなレメディも・・・・
オーク : 倒れるまで あきらめることなく 自分ひとりで頑張る人
パイン : 自分を責める人
セントーリー : 自分を犠牲にする人、ノーと言えない人
アグリモニー : いつも明るくニコニコ笑っているけれど、つらいことがあると本心にふたをして隠す人
いちばん大切なのは自分自身に愛情深くなることだと私は言いたい。厳しく当たらず、優しくしなさい。自分自身を気づかいなさい。自分自身を許せるようになりなさい。何度でも何度でも、7回、77回、777回。自分自身を許すことを学びなさい。厳しくせずに、自分自身に敵対しないことだ。そうしたらあなたは花開く。OSHO
元記事
グループ : Seven Helpers
7つのグループ : 人のことを気にかけすぎている
慢性の状態 : 厳しい理想主義者
作成法 : 太陽法
(healing harbs さんよりお借りしました)
バッチ博士の説明から
非常に厳格な生き方をしている人です。人生の喜びや楽しみが、自分のなすべき仕事の妨げになるのではないかと考え、その多くを我慢します。自分を厳格に監督し、立派で有能で、活動的でありたいと願い、そのようにいられるならどんなこともいといません。他の人が心を惹きつけられ、自分の考えに従うことで、より良くなっていくようなよい手本でありたいと思っています。
『12の癒し手とその他のレメディー』より
あなたは、ご自分に優しいでしょうか?
たとえば、健康にこだわりすぎて、食べたいものも我慢したりしていませんか?
ロックウォーターは 理想主義、完ぺき主義の人にも合うレメディです。
自分自身を知らないうちに支配していたり、
また、自分自身が窮屈な思いをしたり
自分を抑圧しているようであれば、
ロックウォーターが合うと思います。
また こういったことは 自分の内側に緊張を生みます。
なので、ロックウォーターの人が リラックスできないな~
というときにも使ってください。
※ 同じ緊張でも、たとえば何かに没頭したり、入れ込みすぎて 興奮状態でリラックスできないときには バーベイン というレメディを使うと リラックスできたりします。
症例にもありますが、
緊張は血流の悪さを生んだりすることもあります。
また、かたくなさ、頑固さは、体の堅さとして出てくることもあります。
笑うことが増えてくると 体も柔軟になるはず
ロックウォーター
そんなに厳格でなくても、最近ちょっと自分に厳しいかも?
というときにも 気軽に使ってください。
自分を幸せにすること
本当に大事だと思います。ハイ!
こんなレメディも・・・・
オーク : 倒れるまで あきらめることなく 自分ひとりで頑張る人
パイン : 自分を責める人
セントーリー : 自分を犠牲にする人、ノーと言えない人
アグリモニー : いつも明るくニコニコ笑っているけれど、つらいことがあると本心にふたをして隠す人
いちばん大切なのは自分自身に愛情深くなることだと私は言いたい。厳しく当たらず、優しくしなさい。自分自身を気づかいなさい。自分自身を許せるようになりなさい。何度でも何度でも、7回、77回、777回。自分自身を許すことを学びなさい。厳しくせずに、自分自身に敵対しないことだ。そうしたらあなたは花開く。OSHO
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戻ってきました!笑
こんばんわ はてなブログさんへ お世話になっていたのですが 最近 表示の問題があって 使いづらくなってしまったので 残しておいた 元のブログに戻ってきました また こちらでも よろしくお願いします。 旧ブログ https://something-sacred.hateblo.jp...
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こんばんわ はてなブログさんへ お世話になっていたのですが 最近 表示の問題があって 使いづらくなってしまったので 残しておいた 元のブログに戻ってきました また こちらでも よろしくお願いします。 旧ブログ https://something-sacred.hateblo.jp...
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こんにちわ よいお天気? ん? ちょっと雲ってきましたか? 29日 13時から 夕方5時 くらいまで 最大3名 セッションおうけできます (30日は受付終了となりました) セッションの場所は 東京駅近辺となります ご予約締め切りは 今週の土曜日です セッションは バッチのセッシ...
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とても素敵な記事だったので シェアさせてもらいますね 椎原崇さんのブログから 言いたかった事を言うと涙が溢れるのだ。 https://ameblo.jp/jibuncompany/entry-12291208991.html







